第8章 淫雨
【智】
ガチャリ、と音がして。
翔くんが、恐怖に引き攣った顔で振り向いた。
マズい…
潤が、帰ってきたんだ…
今の潤が、この光景を見て冷静でいられるとは思えない。
我を忘れて…
なにをやらかすか…
「翔くん、行って…!」
俺は慌ててベランダへ続く窓を開けた。
「智くんっ…」
「俺は大丈夫だからっ…」
「でもっ…」
「潤が元に戻ったら、必ず戻るから…だからっ…」
心配そうな翔くんを、ベランダに追い出して。
急いで窓を閉める。
カーテンを閉めた瞬間、ベッドルームのドアが開いて。
「智…?なに、してんの?」
訝しげに眉を顰めながら、潤が入ってきた。
「別に…ちょっと、外の空気を吸ってただけ」
なるべく不自然にならないように、いつもよりゆっくりを心がけて言葉を紡ぐ。
鼓動が、耳元で煩いくらいの音を立てる
全身が心臓になったみたいにドクドクいってる
「ふぅん…」
潤は探るような視線を緩めず、部屋をぐるりと見渡した。
「…ケガ…」
「えっ…?」
「どっか、怪我したの?」
床に転がってた消毒液に、目を留める。
「あ、それ、は…」
言いかけたとき、窓の外でバサバサっと木が揺れる音がして。
弾かれたように、窓へ向かって走り出した。
「潤っ…」
止めようとしたけど、一瞬早く、潤が俺の脇を通り過ぎて。
カーテンを引きちぎりながら、窓を勢いよく開ける。
「やめてっ…」
慌ててその背中を押さえるように抱きしめる。
外は、微かな虫の声が聞こえるだけで
静寂に支配されている
「…なにか、いた…?」
「さぁ…?猫かなんかが、ベランダから飛び降りたんじゃない?」
「…猫、か…」
潤が納得したように呟いて。
ホッと息を吐くと。
突然、くるりと向きを変えた潤に、息も出来ないほど強く、抱き締められた。