第8章 現実逃避行
「君、彼氏なの?」
「はい」
「あのお母さんにはいつも参ってんだよね…。
まあ医療費払ってるだけマシな親かな……」
エレベーターに消えていった派手な女を睨み、俺はまた先生の顔を見た。
「今回は、すぐ退院出来ると思うから……」
幼い頃から入退院を繰り返す彼女にとって、この若そうな主治医は昔馴染みだったようだ。
小児科の頃からの話も少し聞き、いかに不安定な存在であるか改めて認識した。
夜もすっかり更けた。
窓から見える景色は夜だった。
先生も昔はバレー部だったらしく、話で盛り上がってしまった。
帰ろうと荷物をまとめたところで、呼び止められる。
「若利くん」
「はい」
「若利くんは、彼女の身体のこと、どこまで知ってるか知らないけど、それなりに覚悟は出来ている?」
「…出来ていません」
「そうだよね…」
「俺が、そうならないようにします」
「どうやって?」
「………それは…」
「気持ちだけでは、どうにもならないことだってあるんだよ」
「……っ」
わかっている。
それでも腑に落ちないことなんて、この先いくらでもある。
そのくらい、わかっている。
悔し涙すら出てこない。
こんな、こんな惨めになるなんて。
どれだけ努力しても仕方ないことなんて、沢山ある。
言い聞かせたいのに、それは、無理だと思った。
「…最後まで、希望を持って生きることは出来ます。
その為なら、その後どれだけ辛くなっても、そんな覚悟なら棄ててやります」
先生の目を真っ直ぐ見る。
それはもう、己のプライドの話になってきた。
辛いのが自分だけなら、最後まで明日を信じ続けてやろうと決心した。
「…ごめん、僕が間違ってたよ。
それでいい」
「いえ…自分も未熟ですから…」
ぐっと握った拳に爪が食い込む。
痛みすら気にならない。
何故あの痛みや苦しみを替わってあげられないのか、それに比べたら、こんなのは一部にもならない。