第64章 新8月 Ⅴ
全力クロールからの脱力背泳。
ちょうどプールの真ん中ぐらいまできて、浮力に任せて自分が作った水面に揺れて過ごす。
季節は夏、しかもここはプール。おまけに今日はここは貸切。
みんな午後の自由時間には遊びに来ると思っていたが、相当に午前中のトレーニングがキツかったらしい。
『暇だな。』
泳ぐには不向きな遊び用の水着で来てしまった事もあり、水泳でのフィジカルトレーニングをする気にもなれず、ぼんやりと水面の反射する眩しい天井を眺める。自分一人の貸切プールは、無駄に広い。
「何やってんだ、お前…。」
『青峰君?!』
どうせ誰も来ないなら、と完全に気が緩んでいた。
突然の声に体勢を起こそうとして気がつく。
このプールの水深は深い。立とうとしたら当然、足はつかないのだ。
「アリス!」
大きな水音がして、大きく波がたつ。
「大丈夫か、お前!」
『大丈夫!大丈夫!ちょっと慌てただけ。』
抱きしめられるように体が捕まえられた。
溺れたわけではない。が、外から見ていた彼にはそう見えていたのだろう。
服のまま飛び込んできてくれたことに、嬉しい様な恥ずかしいような、申し訳ないような。
「ったく。びしょ濡れになっちまったじゃねーか。」
『青峰君と初めて会ったときみたいだね。』
プールサイドに上がり、Tシャツを脱いでしぼっている。
「あん時は雨だろ。」
『そうそう。もう一年前だね。』
この一年で色々あったね、とアリスは用意していたパーカーに袖を通しながら言った。
「そうだ、もう一年だ。」
『青峰君?』
背後から抱きしめられる。すっぽりと包み込まれるみたいに回された腕。
「俺やアイツ等と一年一緒にいたんだ。もう思い出せねぇだろ。」
青峰の言葉に、アリスの大きな目にいっぱいの涙が浮かぶ。
「大丈夫だ。俺達は負けねぇし、お前も負けねぇよ。」
だから心配すんな、そう言った青峰の腕に力が込められる。
ポタリと髪から落ちる雫で涙は誤魔化せているだろうか。
感情と一緒に込み上げて止まらないこの涙は、過去への恐怖や未練からのものではない。
『ありがとう。My sun is warm.(私の太陽は暖かい。)』
「わっかんねーよ、バーカ。」
今だけはもう少し、この暖かくて大きな腕に甘えていたい。