第62章 新 8月 Ⅲ
沈黙を破ったのは青峰だった。
ずっと黙っていたのはそれを真剣に考えていたからなのだろう。
しかし、いくら考えても思い当たるものがなく、それならば本人に聞いてしまえばいいと思ったのだろう。
『トリガー?』
「ゾーンに入るきっかけの事です。」
急になんの話?と視線を青峰に向けたアリスに、パタンと文庫本を閉じた黒子が答えた。
『ゾーン?』
「黄瀬とやってた時、入ってたろ?」
あぁ、とアリスはどこか他人事の様。
『トリガーっていうか、トラウマ?』
「「は?」」
黒子と青峰の返答が重なり、それがツボに入ったのかアリスはクスクスと笑う。
笑ってないで話せ、という二人の真剣な表情に、ゴメンゴメンと言いながらもまだ彼女は笑っていた。
『たぶんあれは青峰君とかタイガのそれとはちょっと違うと思うの。』
「はぁ?」
『前に感じた時はもっとこう、スター状態みたいだったし。』
どこの配管工だよ!とすかさず青峰に突っ込まれ、例えだよ、とアリスは笑う。
だが、実際にそれを何度も体感している青峰には、彼女の言わんとする事がわかる様な気がした。
「僕には分からないんですが、本気ではないって事ですか?」
黒子の言葉にアリスの顔は強張る。
今までも手を抜いていた事などない、いつでも全力だったと胸を張って言える。
『青峰君の言うトリガーってよく分からないけど、私の場合は決別と安心だと思うの。』
そもそも自分が初めてゾーン状態を経験したのはアメリカにいた頃で、一番バスケを楽しんでいた頃だった。
ある日突然、身体が軽くなり思い描いていたパフォーマンスがそのままに出来るようになった。
しかし、それを感じる事が出来ていたのは怪我を負った試合が最後。治療とリハビリを終え、復帰した時には全くそこには辿り着けなかった。
「なんだよ、それ。」
『自分でもわからないよ。ただ、はっきり今までと違うって言える事は、ナッシュとの決別をはっきり自覚した事と、今の仲間達への信頼ぐらいしか思い当たらないもん。』
いつまでも過去にとらわれてはいけない、ちゃんと向き合って自分でそれを乗り越えて戦うと決めたこと。