第1章 連れてこられました
世の中には色々なことがある。
例えば私が記憶喪失だったり、ちょっと変な能力があったりしたとしても。
このヘルサレムズ・ロットという街では吹けば飛ぶような意味しか無い。
ついでに行きずりの青シャツ男に拉致られても、誰も助けてくれないのである。
……。
…………。
家に、帰りたい。
…………
窓から、蒼い夜明けの光が差しこんでいる。
そこはヘルサレムズ・ロットの一角。
高級住宅地が立ち並ぶ場所だ。
私ハルカは、スティーブンという人の家にいた。
壁にもたれ膝を抱えてウトウトしていた。
睡眠は決して快適ではなかった。
身体が痛いし生乾きの服が気持ち悪い。着替えたいけど、着替えもない。
「ん……」
そのとき目の前のベッドから眠そうな声が聞こえた。
ハッとして、一気に目が覚めた。
起きたのかとベッドを見るけど、スティーブンさんは寝返りを打ち、また寝てしまった。
服は脱いでおらず、夕べ寝たときのまま。ジャケットはどうにか脱いだが、青シャツのままでネクタイも外していない。
ホッとして、私はまた膝に顔をうずめた。
でも眠れずに、ゆっくり立ち上がる。
うう、変な寝方をしていたから、身体がギシギシする。
さっき言ったとおり、服が生乾きなので、動くともっと気持ち悪い。
私はスティーブンさんの毛布をそっとかけ直し、窓辺に立った。
見えるのは霧けぶる街。早朝のヘルサレムズ・ロット。
「っ!!」
危うく声を上げるところだった。
窓辺を、ウミヘビのような巨大な異界生物が通っていったのだ。
『元観光客』の私は、未だにヘルサレムズ・ロットの風景に慣れない。
ヘルサレムズ・ロット。
元ニューヨークにして、魔術・妖術・神秘怪奇に超常科学の集積地。霧に抱かれし異界都市。
ここは半ば、人外の領域だ。好奇心で、うかつに遊びに行っていい街ではない。
路地裏に一歩足を踏み入れたがために、元の世界に戻れなくなる者も多い――私みたいに。
それはさておき。
ここはどこかと言うと、さっきも言ったとおりこの男性の寝室だ。
私はこのスティーブンさんに、拉致同然に連れてこられた。