第89章 身から出た錆
誰が信じてくれるだろう。
「この前、テレビでさ」
私と二人、ベンチに腰掛けて言葉を交わす時。
彼はただの青年だった。
次の日、また次の日も。
彼は私の下校を待ち伏せしては、私をお茶に誘った。
と言っても、彼はお茶ができるような小洒落た店には入った試しがなかったようで。
初めて誰かにお茶に誘われた私も、カフェになんて入ったことがなかったから、二人で自販機で飲み物を買って、近くにあった公園のベンチに腰掛けた。
彼はテレビやネットで見た雑談ばかり口にした。
たまに誰が何を言ったとか、誰とどこへ行ったとか、そんな話をしてくることがあったけど、それはいつも「先生」の話だった。
彼に、「雪は甘いんだよ」、なんてホラを吹いたのも、「北海道は寒いけど夏服でオールシーズン通せるんだ」、なんて冗談を話して聞かせたのも、あの男らしかった。
「…帰ってきたら、なじってやるんだ。雪は甘くなかった、夏服じゃ死にそうだった…先生に、全部話す」
(……帰ってきたら、ね……)
私が望まないあの男の生存を、彼は願ってやまないようだった。
どうやら彼には、先生以外に言葉を交わしてくれるような存在がいなかったみたいだ。
だから、どれだけ砂糖に似ていても、雪は甘くないなんて常識すら知らなかった。
テレビやネットを眺めていたのなら、冬の雪国で過ごす人々が冬着を着込んで出歩いていることに違和感を覚えていたっておかしくないのに。
先生が、そう言ったから。
それだけの理由があれば、彼は一片の疑念を抱くこともなく、この世界の在り様を盲信してしまえるのだと知った。
彼の先生を語る嬉々とした表情と、高揚した声色を耳にしていれば、そんなこと手に取るように伝わってきた。
「あ。……もう遅い、帰れよ」
『…帰れよって、誘っておいて』
「帰れ」
急にベンチから立ち上がり、立ち去ろうとする彼を見て。
『…キミの名前を教えて』
「……あ?…知らなくていい」
私はとっさに質問を投げかけ、彼を引き止めた。
つれない返事を返した彼に、ぶわっと強く吹いた向かい風。
彼は風に煽られて後退り、いらだたしげに振り返った。
「この風やめろ、弔だ…!」
『…弔?わかった…また明日』
私の言葉に、彼は少し戸惑ったように言葉を返した。
「…また、明日」