第85章 無いものねだり
悔しがったって後の祭りだろ。
そう冷たく言葉を返してくる轟に切島が食ってかかろうとして、やめた。
轟の横顔は、いつものポーカーフェイスとはかけ離れて、無力感をにじませていたからだ。
「…緑谷、明日またみんなで来るから、目ェ覚ませよ」
切島は力なく横たわったままのクラスメートにそう告げて、轟と一緒に別の部屋へと向かうことにした。
あれから一度も家に帰っていない。
帰る理由がないからだ。
彼女が居ないあの部屋に、今さら帰る理由なんて存在しない。
帰りたいとすら思わない。
「……深晴」
ベッドに横たわる彼女は高熱にうなされて。
名前を呼んでも、目を開けることがない。
合宿の夜に気を失ってからまだ一度も目を覚ましていない彼女は、うわ言のようにずっと、ずっと。
爆豪の名前を呼んでいる。
「…………………深晴」
俺は、ずっと、ずっと。
彼女の名前を呼んでいる。
ーーー泡瀬、八百万!!施設の方へ向かって走れ!!
あの夜。
そう俺は指示を飛ばして脳無を捕縛しようと、施設へ向かい始めた二人に背を向けた。
「…深晴さん…!」
直後、八百万の呻くような声を聞いた。
振り返った瞬間の出来事。
脳無がハンマーを振り下ろし、襲いかかってきた。
その一撃を危うく躱しはしたものの、脳無は殺戮出来れば誰でもいいのか、また視界に入った泡瀬と八百万に向けて得物を何本もの腕で振り回し始めた。
(…ッ早く)
早く、追いかけなくては。
そうは思っても、生徒と脳無を置き去りになどできない。
以前の脳無とはタイプが違い、戦い方もデタラメだ。
あの脳無相手に、他の生徒が太刀打ち出来るとも思わなかった。
(早く、仕留めろ!!!)
長い得物を振り回し続ける脳無と戦い続け、八百万達を背に守り続けて。
突然、脳無が動きを止め、踵を返して森の中へと大股で駆け出し向かい始めた。
(ーーーーッどっちにしろ)
荼毘が逃げて行った方は施設の方向とは真逆。
泡瀬と八百万は、今敵に出くわしたらひとたまりもない。
「…すまないが、まだ動けるか。俺はあいつを追う、おまえ達も来てくれ!!」