第76章 役に立つから
少しの間の沈黙を経て、向はポン、と自身の片手で拳を作り、もう片方の手にハンコを押すように手を合わせ、『あぁわかった』と納得した。
『目の下のクマ?』
「……。」
反論がないということは、恐らく当たったのだろう。
向は大丈夫、と疲れた顔で笑い、だるそうに突っ伏していた身体をゆっくりと起こした。
『心配してくれてありがとう』
「心配なんざしてねェ」
『…あぁ、そうだよね』
(そうだよねってなんだ…!)
イラァっと爆豪が顔面に苛立ちを浮かべた時、また彼女は身体をテーブルに投げ出し、瞑目した。
そして、帰りたいなぁ、と珍しい言葉を口にした。
「…あ?」
『なんだか…疲れたよね』
「…ついこの前まで帰りたくねぇだのなんだの言ってやがっただろ、情緒不安定か」
『不安定とは違うかな…』
疲れた。
彼女はそう言ったっきり、口を閉じてしまった。
昨夜、彼女は近しい友人の一人から突然の告白を受け、言われるがままに諦めたいから振ってくれなんて頼みをされたはずだ。
それはさぞ心穏やかではいられない夜を過ごしたことだろう。
微かに。
爆豪の心の中にも、彼女を労うような感情が湧いてくる。
「…寝てねェのかよ」
『……少し寝た』
それは、あまりよく眠れなかったという言葉と同義だと爆豪は理解して、朝食時間まで眠ろうと試みているらしい彼女の隣に座ったまま。
黙って陽の光が差し込んできている窓の外を眺めた。
揺れる木々の枝を観察し、今日は風が吹いているから屋外訓練を続けていても少しは暑さが紛れるだろうと予想がついた。
『…勝己』
「…!」
言葉を返すことなく、爆豪が彼女の方へと視線を向ける。
キミは、いつから出久と一緒に過ごさなくなったの?という、意図のわからない質問をしてきた彼女を見下ろし、言葉を返した。
「んなこと聞いてどうすんだ」
『…別に』
「あァ?隠してんじゃねェ」
『知りたくて』
「だァから知ってどうすんだ!?」
『どうもしないよ』
「またなんか考えてんだろ、つべこべ言ってねェで答えろや!!」
彼女は爆豪の追及から逃れようと思ってか、また机に突っ伏してしまった。
そのやけに疲れた横顔に追い打ちをかける気にはならず。
爆豪は不服そうに舌打ちをして、特に意味もなく向の頭に片手を乗せた。