第63章 十年目の片想い
好きこそものの上手なれ。
個性を持たない先人は言った、生温い世界を生きるだけだったくせに、知ったかぶって。
超常が起こったこの世界に、そんな古びた言葉が未だに残っているのが、酷く滑稽で仕方ない。
『あぁ、その言葉ってそういう意味なの?』
「え?…はい、「人は好きなものに対しては熱心に努力するので、上達が早いということ」…そういう意味を持つ言葉です」
期末試験直前、爆豪に貶され続けてついに心の折れた彼女が、八百万に質問を投げかけてきた。
漢文問題の注釈を読んだところで、そんなことわざは知らないと途方にくれた彼女は、八百万の解説を聞いて『へぇ〜』なんてやる気のない声を出した。
「ご存知でしたか?」
『聞いたことあったわ。でも違う意味だと思ってた』
好きな人に後押しされれば、どんな苦手なことでも頑張れる。
「…ふふ、もし本当にそうなら、ロマンチックですわね」
『道理でこの問題が読み取れないわけだ。完全に「好きなやついんの?」「ヒミツ」みたいな話を延々としてるんだと思ってた』
「…深晴さんは、そんな経験がありまして?」
『んー、どうかな。そんな人がいればいいけどね』
「………。」
『百は?』
「…えっ?」
『好きな子』
いるの?と問いかけて、首を傾げてくる彼女に見つめられ。
パッと視線を落とし、答えた。
「私もいませんわ」
『そっか』
「……それにしても…こんな古い言葉、いい加減無くなってしまえばいいと思いませんか?好きであれば誰より上達できるだなんて、前時代的発想です」
『へぇ、「誰よりも上手になる」なんて意味も含まれてんの?』
「…え。……含まれては…いませんが。一番でなくては上手とは言えません」
『ははは、じゃあほとんどの人間の取り柄なんて「個性」で出来ることくらいじゃん』
「せっかくそれぞれ異なった個性があるのですから、わざわざ向いていないことで身を立てる必要はありません」
『身を立てるには向いてることやるのが一番だけどさ、それは楽しいの?』
「……いけませんか?」
『いけなくはないけどさ。向いてる向いてないなんて事にこだわってると、何も出来なくない?』
彼女は、いつか。
鍵盤を叩いていた長い人差し指を立てて、言った。
『向いてなくたって、やりたいことがあればやればいいし、上手じゃなくても、頑張ることはできるよ』