第62章 悪くない
その日は。
誰よりも、空に近く在りたくて。
まだまだ住み慣れない街から、屋上を飛び移り、一つも二つも街を飛び抜け。
さらに高い場所へ行こうと、周囲を見回す為に立ち止まった。
汗ばむうなじを撫でていくそよ風に、ため息を吐いて。
誰かに見られては面倒だからと、個性で姿を消し続けていたら、突如その静けさをぶち壊す二人組が現れた。
「個性のない人間でも、あなたみたいになれますか…!」
目を見張った。
どうやって接点を持てばいいのだろうと日夜考え続けた生ける伝説が、向こうからやってきた。
言葉が思い浮かばず、ただ呆然と立ち尽くし。
蒸気を立ち上らせ始めた平和の象徴が、見る見るうちに萎んでいくのを眺めた。
「私のヒーローとしての活動限界は今や、一日約三時間程なのさ」
憔悴しきった生ける伝説は、吐血しながらも言葉を紡ぎ続ける。
そんな弱り切ったNo.1ヒーローの背を、泣きそうな顔で見送る緑谷の隣で、向は。
(……そっか…)
ただ、そうか、と。
突如として突きつけられた彼の秘密を、胸にしまって。
飛来してきた色んな感情と、オールマイトに告げようとしていた言葉を一緒に飲み込んで、胸の奥へと追いやった。
その日の夕方。
ヘドロ事件が話題となり、凶悪なヴィランに対抗し続けた同い年の中学生が、強靭なメンタルと個性で抵抗をし続けたことが報道された。
オールマイトが登場し、その少年を助けたというニュースは瞬く間に全国へと広がり、不動のNo.1ヒーローと呼ばれるに足る所以の一つとして数えられ、また彼の名声は世に轟くこととなった。
その日まで。
テレビにオールマイトが映る度。
向は幼子のように目を輝かせ、ニュースの一言一句まで聞き逃すことのないよう、ジッと集中してその雄姿を目に焼き付けていた。
けれど、ヘドロ事件のニュース以降。
街中で、テレビで、ラジオで、どんな場所で、オールマイトの存在を感じても、以前のような高揚感は芽生えなくなった。
学校でずっと一緒にいる爆豪がそのヘドロ事件で有名になった中学生だったことすら、知らなかった。
体育祭で物間が口にした「ヘドロ」という言葉を小耳に挟んで、ようやく知った。
突如打ち砕かれた幻想に代わるものは見つからず。
惰性で雄英へ入学し、惰性で日々を過ごした。