第54章 それだけは譲れない
目の前にいる彼は。
教師でも、同居人に好意を寄せる一人の男でもない。
ただの、プロヒーロー。
死線を潜り、場数を踏んで、それでも戦場を生き抜いてきた一人の大人だ。
「…ナメられたもんだな」
公私混同甚だしい?
それは教師と生徒に限ってのこと。
プロヒーローとしての矜持を、彼は「不要なもの」として一度だって捨てたことはない。
「…おまえ、本当に何かをねだるのが下手だな。たまに要望を出してきたと思えば、オールマイトの秘密を教えろ?」
『…教えろとは言ってない。消太にぃは知ってるのかって聞いたの』
「知らないな。生憎ソリが合わないし、飲みに行ったこともないんでね」
『私がボロを出すの待ってたの?』
「大人は卑怯だからな。おまえも言ってただろ。同期があまりに騒ぐから、俺だけでも把握しておこうと思ってな…同居人の本心を」
『…どこから演技?』
「さぁな」
『なんで知らないなんて嘘つくの?』
「欲しがるなら、俺が与えられるものにしてくれ。情報漏洩なんてしねぇよ、大人は職を失うと生きていけないんでな」
で、どうする?
相澤は彼女から視線を晒さず、ただ淡々と問いかけてくる。
「プロヒーローとしてこのまま尋問を続けてもいいんだが…同居人としては、せっかくの日曜の夜に玄関先で話し込むようなことはしたくない。もうじき夜が来る。教師としては、教え子を一人で外に追い出すようなこともしたくない。おまえに本気で惚れてる男としては」
これ以上、隠し事はされたくない。
だから、もう待てない。
全部話せ。
『………。』
そう言った彼の声色は、いつも。
向に「今日はどうだった」と話しかけて来る時の彼の声と、何も変わらなくて。
優しくて、穏やかで。
拒絶するにはあまりに、悲しげだった。
『………ごめん』
そう言葉にすると、彼は向の頭を優しく撫でて、抱きしめてくれた。
その謝罪の言葉が、単なる拒否ではなく。
彼の呼びかけに彼女が応えようとした始めの一言だということを、相澤は理解して。
彼女がポツリポツリと話し出すのを、ただ無言で聞いていた。
彼女の声を聞きながら。
相澤は、ふと、こんなことを考えた。
(……あぁ、しまった)
まだ、この子に自分は
おかえりという一言を、かけてあげていない