第29章 さいごに囲んだ夕食
そう口走ってしまってから。
向はハッとして、俺に謝ってきた。
『ご、ごめん空気悪くして!忘れて!』
「………向。話せよ」
『えっ。いや、重いからちょっと蕎麦食べた後には胃もたれするかと』
「最後に囲んだ夕食だから、特別なのか」
『……いや……』
向は少し口を噤んで。
そして、俺にだけ聞こえるように、話した。
『私、お父さんが作ってくれたカレーひっくり返しちゃって……小さかったから、次の日にお父さんがいなくなったのが、自分がカレー零すような悪い子だったからかなって、ずっと思ってて』
きっと、俺だったから話してくれたんだろう。
俺たちは、ひどく似ているから。
向はそう思って、慎重に言葉を選びながら俺に話してくれたんだろう。
『ははは、関係ないんだけどね?カレー零すのと、両親の別居なんてさ。でも、ちょっとした自分への戒めというか。…はいっ胃もたれするね!ごめん、面白く話せなくて』
「……向」
俺と一緒だから、謝らなくていい。
そう言おうとした時、ちょうどカレーが出来上がってしまって。
俺は、おまえに話す機会を失った。
おまえは俺だけに話してくれたのに。
お母さんと、最後に囲んだ夕食は。
俺が好きだったざるそばのように盛られた、湯通しがされた熱い蕎麦だった。
熱盛り蕎麦っていうんだよ、と。
お母さんは俺に、いろんな蕎麦を食べてごらん、と教えてくれたのに。
俺は冷たい蕎麦が食べたくて。
親父との訓練の成果を、褒めて欲しくて。
お母さんの目の前で、コントロール出来始めていた右手の個性で熱い蕎麦を凍らせた。
「俺冷たい方がいい!」
なんて。
熱盛り蕎麦を台無しにしてから、俺がわがままを言った時。
お母さんは、泣き始めてしまった。
食事を大して取らないまま、部屋に引きこもってしまったお母さんに、また明日が来たら謝ろう、そう思って泣きながら眠りについて。
夜中。
運悪く目が覚めてしまった俺は、人の話し声がする台所へ向かって、そこでお母さんの背を見つけた。
明日、お母さんがいなくなると知っていたら。
俺はわがままなんて言わず、熱くて食べ慣れない蕎麦を、おいしいおいしいと食べたのに。