第28章 秋の夜長に春ひとつ
深呼吸のあと
唯一空いていたカウンターに腰かけて
期待に胸膨らませていたら
大きなどんぶりが
静かに、目の前に置かれた
ほのかに立ち上がる優しい湯気から
外で感じたよりも
柔らかな醤油の香りが
一気に鼻を抜けていって……
惹かれるままにどんぶりに口付けて
啜ったスープの旨さは
例えようのない…
魅惑のかたまりで…
掻き込むように麺を啜って
スープを飲み干して
あっという間に平らげた
食べ終わってもどんぶりを持ったまま
余韻に酔いしれる中
親父や隣のおじさんの笑い声が響く
そんなにうまかったか、とか
幸せそうなツラしてんなぁ、とか…
揶揄うような声を
意識の遥か彼方で聞きながら
感嘆の溜め息のあと
喉の奥から自然と昇ってきた
残りの味にもまた酔いしれて…
その日を境に
親父さんのラーメンの虜になった
ランドセルから
リュックに変わっても
学生カバンに変わっても…
親父さんの優しい笑顔
お袋さんの明るい笑い声
たまらなく旨いラーメン
賑やかすぎるほどの店内
ずっとずっと…
大好きなこの場所が
変わらずにあると思っていた
あの日を、迎えるまでは………