第28章 秋の夜長に春ひとつ
…このままじゃ…やばい……
…親父さんに顔向け出来ない…
ゆっくり顔を上げて
店内を見回すも
俺の記憶にある賑やかだった
昔の様相とは真逆なほど…
相変わらず静けさだけが
包み込んでいて…
「はぁ……」
小さい溜め息をついて
流しに残された
ひとつのとんぶりに
泡立てたスポンジを滑らせながら
懐かしい記憶を思い返した
遥か昔…
慣れないランドセルを背負いながら
親父に手を引かれて帰っていたとき
通学路の途中にあった店の前で
俺がふと、足を止めた
ふんわり…と。
柔らかな風に乗って
ただよってきた香りは
春風と同じく柔らかく優しくて。
醤油のほのかな香りを
もっと感じたくて
揺れる暖簾を見つめたまま
大きく息を吸った
柔らかな香りを思いっきり吸い込んで
小さく鳴った腹の虫に
親父は優しく手を引いてくれて
カラカラ…と乾いた音を立てて開くと
穏やかに微笑む白髪混じりの
親父さんとお袋さんが
表情と同じように穏やかに、静かに…
心地よい柔らかな優しい声で
いらっしゃい、と声をかけてくれた
店内に入ると
さっきより強く感じた優しい香りに
ワクワクなのかドキドキなのか
どちらかわからないけど
高鳴る鼓動を感じながら
もう一度、大きく深呼吸した