第10章 不測の事態
楽「···どうする?」
私の手を掴んだまま、まっすぐな視線を絡めて来る。
それはもう、さっきまでのお蕎麦屋さんの配達員の顔ではなく。
八乙女楽、そのもので。
だけど、こんな状況なのに慌てることもなく笑ってしまう。
楽「なに笑ってんだよ」
『だって、おかしいんだもん···姿形は楽だけど、纏う香りが···美味しそうな鰹出汁の香りで。この場合って美味しそうなのは私じゃなくて楽だなって思ったら、笑いが···』
楽「マジか?!俺そんなに蕎麦屋の匂いするか?!」
『するよ、するする!』
クスクスと笑いながら言えば、どこらへんだ?!とか言いながら自分の着ているお蕎麦屋さんの制服に鼻を当てる。
『惜しかったね、楽。いつものドキドキするような香りなら、私も慌てちゃうところだったけど』
楽「へぇ···いつもの俺は愛聖がドキドキする香りなんだな?」
『あー···あと、姉鷺さんのスパイシーなオトナの香りもドキドキ系だよ?ちょっと強めだけど』
姉鷺さんの香りは、ホントにオトナっていう感じの香りだから。
『あ、そうだ!あとね、八乙女社長もいい香りするよ?』
楽「親父の話はどうでもいい」
八乙女社長の事を出せば、楽はあからさまに不機嫌な顔に変わる。
『それからさ、楽?』
楽「まだあんのかよ···お前どんだけ人の匂い嗅いでんだ?」
『違うって!そうじゃなくて、ほら···今はギャラリーもたくさんいたり···とか?』
アッチ見て?とこっそり指をさせば、寮のベランダにはいくつかの影があって私たちの様子を伺ってるのが分かった。
『みんなには楽だってバレてないんだから、きっと私がお蕎麦屋さんに言い寄られてるって思ってるよ?』
なおも笑いながら言えば、楽はガシガシと頭を掻きながらカッコつかねぇ···と呟いた。
『良かったね、楽。TRIGGERの、あ~んなイケメンじゃない格好してて』
楽「うるせぇな愛聖。それまだ言うのかよ」
盛大なため息を吐いた楽が、ようやく私を解放する。
『さてと。お蕎麦が冷める前に戻りますかねぇ』
楽「お前は蕎麦じゃねぇだろ。さっきのヤツが親子丼半分ずつだとか···そういやお前、さっきの話は本当なのか?」
『さっきの話って?』
楽「だから、アイツが言ってた事だよ。か、髪乾かしたりとか、食べさせっこ···とか?」