第10章 不測の事態
「僕が···怒るの?」
僅かに掠れた声で言えば、愛聖は少し悲しそうに頷いた。
いつか、僕が愛聖を怒る?
言ってる意味がよく分からないのは、僕が目を覚ましたばかりで思考が上手く働いてないからか?
それとも、他に別の意味が?
いずれにしても、ただ静かに涙を零す愛聖を放ってはおけないな。
ソファーから体を起こし、愛聖の体へと腕を伸ばしかけ···その手を止める。
僕の手が赤く染まっている錯覚に落ちて、グッと握り締めた。
あの夢を見る度に、毎回···あの日と同じように真っ赤に染まって見える手を、何度気が済むまで洗い流したんだろう。
『千···千の手は、もう真っ赤に染ったままじゃないから』
ため息を吐く僕の手に愛聖が自分の手を重ねて微笑む。
「愛聖?」
『それに···ね。きっと万理は、どこかで元気にしてるから。だから大丈夫』
僕たちよりずっと小さくて、泣き虫で、わがままで、甘えん坊な子供だったはずなのに。
「おまえは···いつの間にそんなに強くなったんだ?」
泣き虫なのは···昔のままだけど。
『強くなんてないよ?もし、千がそう思えるんだったら···きっとそれは千たちのおかげかも』
「僕たち、って?」
『万理がいなくなった後、ずっと近くにいてくれたのは、千と、それから百ちゃんだし···』
まつ毛を濡らしたままで微笑みを見せる愛聖を見て、僕も同じように微笑んで見せる。
「愛聖。そこで僕以外の名前が出るなんて、ちょっとジェラシー感じちゃうな」
万がいなくなってバランスが不安定になった僕たちを繋ぎとめたのは、確かにモモだけど。
百「マリー?あーっ!ユキってばズルい!マリーの独り占め禁止だからね!」
タイミングよく部屋に入ってくるモモを見て、騒がしいのが増えたなと言って笑う。
『増えたって、私も騒がしいってこと?』
「さぁ、どうだか?···それより僕が出した宿題を見ないとね?」
テーブルに置かれたノートにチラリと目をやれば、愛聖もそうだね···と笑う。
苦しくてもがいてた気持ちが、いつの間にか穏やかになっているのは、僕の手をまだ包んでいる小さな手の温もりがあるからだろうか。
小さく笑いながら、僕はその手を握り返した。