第1章 Stage…
裏口が近付くにつれ、俺の鼻先をある匂いが掠めていった。
この匂い…
俺がこの世で一番嫌いな匂い…
ドアノブを握りしめたまま足を止め、深いため息を一つ落とすと、重くなる気持ちとは真逆の、裏口の軽いドアを開け放った。
途端に吹付た強い風と冷たい飛沫に、さっきまで火照っていた身体が一気に冷えて行く。
「マジかよ…」
俺は一人ごちると、すっかり薄黒くなった空を見上げた。
元々濡れていた髪の先からは、ポタポタと滴が落ちては、足元を濡らした。
俺は一瞬後ろを振り返り、舞台装置や何かに囲まれた薄闇の中に翔の姿を探した。
でもそこに翔の姿がある筈もなく…
そうだよな、劇場の支配人であるアイツにはまだ仕事が残ってるもんな…
仕方ない…、走って帰るか…
俺は激しく降り付ける雨の中飛び出した。
ダッシュで帰れば十分とかからないマンションまでの道程。
なのにこんな時に限って見る信号全てが赤に変わる。
まるで俺がマンションへ帰るのを阻むように…
そして幾つかの信号で足止めを食らった時、俺の目の前を猛スピードで走るトラックが通り過ぎた。
その瞬間、俺の脳裏に焼き付いたあの光景がフラッシュバックして…
「やめてくれ…、連れてかないで…、潤を…潤を連れてかないで…」
俺はその場に蹲ったまま、まるで身体が石になってしまったかのように動けなくなってしまった。
だから嫌いなんだ、雨は…
もう二度と会うことの出来ないアイツを思い出すから…
「翔…、助けて…」
俺は冷たく濡れたアスファルトにその身を横たえた。