第8章 天才の愛情
小会議室の扉を開く。
やけにシンとして寒く感じた。
桃浜の描いたクマだか亀だかの落書きだけが、ホワイトボードの中で能天気に騒いでいた。
それを見るとまた思い出してしまう。
――ダメダヨ。ダッテ私、伊豆クンノコト嫌イダモノ
腹の底から、ゾクリとこみ上げるものをオレは感じた。
思えば、「天才はいいね」だなんて、今まで何人から、何回言われてきただろうか。
言われて嬉しいと思ったことは一度もない。
何でもすぐできた。だから何をやってもつまらなかった。
できないものに挑戦して努力をしている赤坂や桃浜の方がよっぽど凄いと思っていた。
オレも何か、できないことが欲しい。それに一生懸命になりたい。そう思っていた。
――伊豆クンノコト嫌イダモノ
そんなオレに、はじめて、多分生まれてはじめて、手に入らないものができたのだ。
下腹部がじんわりと熱い。
欲を吐き出したばかりだというのに、オレのそこはまた固くなりはじめていた。
――天才ノ伊豆クンガ、ダイッ、嫌イ
オレを拒む桃浜の言葉を思い出すたびに、ドクドクと血が下半身に集まる。
あんな酷いことを言われたっていうのに、オレは桃浜を嫌いになれなかった。オレの脳も、胸の中も、驚くほど桃浜でいっぱいだった。
桃浜が好きだ。
オレがそう言ったら、桃浜は嫌がるんだろうな。でも桃浜だってオレを無視できないはずだ。オレは桃浜の嫌いな”天才”だから。
天才だから桃浜に嫌われている。けれど天才じゃなきゃ桃浜に見てもらえない。ならもう天才でいい。
桃浜が好きだ。好きすぎて泣きそうだ。
そうだ、明日桃浜にそう言おう。付き合ってくれとそう言おう。断られたって諦めないぞ。桃浜がオレを好きになってくれるまで、諦めない。恋愛なんてするのははじめてだけど、きっと上手くやってやろう。なんたってオレは天才だから。
オレはホワイトボードに残る桃浜の絵に手をつき、小さく笑った。
「絶対オレに惚れさせてやる」
天才のオレに不可能などないのだ。
おわり