第46章 【深緑色】 限局性恐怖症
髪を撫でられ
頬を撫でられ
詫びを繰り返す轟に
ハイリはスンと小さくしゃくりをあげた。
怒りなんてとっくに収まっている。
怪我はあっても大事ではない
無事とは言い難くとも
ちゃんと帰って来てくれた。
今は
ただそれだけで
(良かった……っ。)
この涙は恐怖の反動だ。
それがあまりに大き過ぎて
コントロールできないだけだ。
怖かった
怖いという言葉では量れない程の恐怖だった。
光も影もない
無明の荒野に一人
置き去りにされたかのような喪失感。
万が一を想像して
背を駆けあがった震えを
なんと言い現わせばいいものか…。
(思い出したくない…)
二度とあんな思いはしたくない
恐怖を思い出しては
触れる体温に安堵する。
生きている事を実感しているこの時に
怒れる筈がない。
自分が泣いている事を
壁の向こうの二人に覚られたくない少女は
言葉に出さずその首を何度も縦に振る。
大丈夫だと
すぐ泣きやむから待ってくれと
察してくれたのだろう
轟はクスと苦笑を零し
肩口へとハイリを抱き寄せた。
「会いたかった…。」
甘い声
優しい言葉
コツンと当てられた頭を摺り寄せる
轟の言葉は嬉しくもあるが
それはそれで解せないもの。
何を言っているのだろうかこの人は
一歩間違えれば
一生会えなくなっていたかもしれないというのに。
小さな不満を抱えるハイリは
もう一度しゃくりをあげ
腕を轟の首へときつく巻き付ける
(会えたことを喜んでいるのは
間違いなく私の方だ。)
そこだけは絶対に譲れない。
ホッと大きくついた息
今やっと呼吸できたかのような安息感。
ギュッと閉じた目尻から
また一つ
大きな雫が伝い落ちた。