第29章 【空色】心温
ぽろり、ぽろりと零れ落ちていく言葉は
少女の涙のようだ
いつの日からかこの子は
我々に涙を見せなくなった。
根津の記憶は遡る
(最後に見せたのはいつだったろう…。)
幼い頃はよく泣く子だった
「さみしいよ」と
帰ろうとする自分を必死に引き留めた小さな手
夕方の燃える橙が嫌いだとごねた
夜の静寂な濃紺が怖いとすすり泣いた
母が居ない
父の帰らない家に
一人捨て置くにはあまりに幼かった。
故に…
我々が家族の役割を負ったのだ。
もしそれが無ければ
いつか振り切れたのかもしれない
例え歪な形でも
割り切れたのかもしれない
だが
そうする訳にはいかなかった。
闇に堕ちてしまわないように
少女をこちら側に繋ぎ止めるために
我々に
依存させるために
ハイリは成長した。
我々の予想以上に
聡く、強く、優しい子に。
だが未だ求めているのだろう
家族の代わりに
無条件に側に居てくれる存在を
そこに
あの少年を埋めてしまったのだろう。
「まさか、一緒に住んでいたとはね…。」
「絶っっっ対内緒だからね
誰にも言ってないの!
ねずちゃんだけ!!」
内緒にしてくれる…?
問う瞳が揺れている
だが決して雫は落とさないのだろう?
一度張った意地は決して折らぬ子だ
(まさか…。)
ふと、確認しなければ
そう思った。
いつも感情の乗らない明るい声は
ややトーンが落ちていた
桃色の肉球で細い指を包み
亜麻色の瞳を覗きこむ。
「ハイリ?
彼の前では泣けているのかい?」
音の切れた部屋に
ハイリの息を呑む音が一つ
小さく響く
光を灯す瞳は瞬きを繰り返しながら
少しだけ脇に逸れる
返事はなかった
それこそが返事だった
沈黙
それは無言の肯定
「深くは話せないけど彼も色々あって…」
話を逸らすかのように言葉を継ぎ足すハイリに
根津はジクリと刺す胸の痛みを覚えた
まるで
身を寄せ合う二羽の雛
互いの体温で温め合い
支え合っている
この短期間に作り上げられた
深すぎる信頼関係は
(あまりに脆い関係というものだよね。)
ヌイグルミの真ん丸な黒眼は
亜麻色のカーテンの裏で細められた。