第1章 アネモネの夢00~50
「藍羽君、まだ居たか」
「社長」
「取り込み中かい?」
「いいえ、用件はとっくに終わってます。仕事、やり残しがありましたか?」
「いや、君の仕事は大丈夫なんだけど僕の方で少しね。頼んでも構わないかい?」
「はい、もちろん。そういうことですので、放してください」
「……明日は必ず」
「何度言われてもお断りします。貴方とは食事には行きません」
エントランスの片隅ではあったが、かなり目立ってしまっていた。明日からどんな噂が立てられるかもわからないのに、非常に不本意だ。
嫌だと何度も断ってるのに日本語が通じない彼に、どうしたらいいのかさっぱりわからない。今回は偶然社長が来たから良いけれど、もう少しで同期にもどうにもできず引きずられていきそうだった。
「大丈夫かい?」
「はい……あの、仕事は」
「ああ、あれは方便だよ。受付から君が困ってるって連絡があったんだ」
「受付から……」
社長について社長室まで行って、ホッとしながら社長を見ると心配そうに声を掛けられた。
頷いて仕事を受け取ろうと聞けば、あれは嘘だと笑って言われて目を見開く。受付の同期はそういえばこちらに来る前にどこかへ電話していた。
鳴った電話に応対していたわけではなく、社長への電話だったんだ。納得して気が抜けたら腰まで抜けて、その場にへたり込んでしまった。
流石に、あれは怖すぎる。力では敵わないしどうしたらいいのか判らない。
「雹牙君に頼りなさい」
「え? でも……」
「彼は少し思い込みが強いようだし、君一人では対応できないと思う。今日は僕が送って行くから、今日の内に雹牙君へ連絡して頼りなさい」
「……わかり、ました」
良い子だと言うように社長に頭を撫でられて苦笑を浮かべると、それじゃあ、荷物を纏めたら出ようかと声を掛けられ頷く。
準備が出来た社長と共に社長室を出てエントランスに行くと、社長の言う通り彼はまだその場にたたずんでいた。視線をそちらに向けたわけではないけれど、丁度通る時に視界の端に映って判った。
血の気が引く思いで社長の呼んだハイヤーに共に乗り込むと、何とか帰宅して私は雹牙さんに助けてとラインを送ったのだ。