第3章 三ヶ月目のさよなら
私はボーッと、明かりのない天井を見た。
私がこっちの――元の世界で、どんな暮らしをしてたかと言うことは省略しよう。聞いて面白い内容でも無いし。
ただ、辛く虚しいだけの日々があった。
「…………」
六人の兄さんたち。優しいお父様とお母様。
あの家で暮らしたのが、夢だったのではないかと思う。
でも、夢では無い。
私は大切に守っているバッグから、小さなカードを取り出した。
偽造免許証。
適当に作ってごまかすことも出来ただろうに、あの詐欺師は本物と遜色の無い
ものを作ってくれた。
あの街の人たち。こちらには存在しない赤塚区。
昭和のような平成のような不思議な空間。
こっちの世界には、あんなふわふわした不思議なことは起こらない。
涙がこぼれる。
一松さんに会いたい。
でも、もうどうすることも出来ない。
暗い中に痛む身体を横たえ、涙をこぼす。
明日からはまた過酷な現実が始まる。
変えられない。私はずっと、社会の底辺で生きていく。
『松奈』
一松さん……?
一瞬だけ目を開ける。もしかして不思議な力が作用し、一松さんが迎えに来てくれたのかと思った。
でも現実には、そんな都合の良いことは起こらない。
世界は相変わらず暗闇である。
「…………」
ゆっくりと起き上がる。
誰のためにも頑張ろうとは思わなかった。
でも、一松さんのためなら?
もう一度会いたい。
なら、会えるように動くべきでは?
あの世界に二度と行けないって、誰が分かる? 誰が決めた?
それなら、まず今を変えないと。
私はそーっと、そーっと、ベッドを抜け出す。
飲んで寝ている連中の横を通り抜けた。
家を出ると、深夜だ。夜の闇は深い。
こっちの世界の夜は怖い。治安の良い地域でも無い。
詐欺師はいない。おでん屋が相談相手になってくれることもない。
戻ろうか。一瞬だけ思う。
『松奈』
私は一歩を踏み出す。
最後に汚いドアを振り向いた。そしてハッとする。
あれだけ自分を縛っていた世界が、今は全然怖くない。
むしろ小さく思える。
何で私、ずっとずっと『彼ら』の言いなりになっていたんだろう?
「さよなら!」
私はカバンのヒモをギュッと握って、夜の闇に駆けだした。