第1章 序章
「準備は出来ましたか?」
後ろから声を掛けられ、振り向くとスーツ姿の官僚秘書が立っていた。
「はい」
必要なものは持った。
大体のものは、彼方側で揃うらしいので数日間の着替えのみをボストンバッグに詰め込んだ。
もう、此処には帰って来られない。
見送りもなく、秘書に続いて家を出る。
運転手が既に乗った黒い車に乗り、近くの歴史資料館へ着いた。
小さい頃は、よく来たけれど前とは打って変わって小綺麗になっている。
「よくいらっしゃいました。さぁさ、此方です」
玄関先で出迎えてくれた館長さんらしい人が、久々に此処を開けるときが来るとは、と言いながら、立ち入り禁止と書かれた扉を開いた。
今時珍しい、木製の紋様が入った自動扉に時代を感じつつ彼らに続いてエレベーターに乗る。
暫く下降して、チーンッと金属音と共に再び扉が開いた。
殺風景な部屋に、人一人が入れるであろう箱が一つ、周りには囲いが設けてある。
「彼方に着いたら、確かこのくらいの小さな狐が話し掛けてくるはずです。まぁ、言ったところで、向こうに着いたら貴方記憶無いので分からないでしょうけど」
秘書さんが、手でこれくらいだと示しつつ若干適当に説明してくれる。メモくらい渡してくれてもいいのに。
『あぁ、私をあっちに飛ばすついでに記憶も飛ばしてくれるんでしたっけ』
「決まり事ですからね」
彼方に行ったらもう二度と帰って来られない。向こうに行った後、私はこっちでは死んだことになる。帰りたいと思って、時空間を審神者が移動し戻ってくるようなことがあっては、死者が舞い戻ったなどの騒ぎになりかねない。
もう、私には此処での居場所はないという事、審神者として投げ出さない責任を自覚させる為なんだと思う。
秘書に誘導され箱に入る。パタンッと静かに閉まる音がして、何も見えないほどに真っ暗になった。
私は静かに目を閉じた。