第74章 融和
具体的に述べると…
一番の要点、肝(キモ)となる部分は…
『実害を振り撒く所業を犯した後、今後にどう反映させるか』
その『意識と認識』、『言動』だ――←3625,3626ページ参照
『本当の本質、真意』さえよければ無罪。
なんてことは無い。
そうなれば、殺人でも傷害でも損壊でも何でも許さなくてはならなくなる。
そう…繰り返さないように、と意識「していないもの」でさえも…
何度繰り返そうと、何度誰が訴えかけようと、
無罪という蛮行が敢行されてしまう、赦さない方がおかしいという「異質な事態」となる…
たとえ、今後どう生かそうかと悩んだり、罪の重さに苦しんだり、大きさに苛まれたりしているのなら『まだしも』…
だから、無罪となってはならないのだ…←3696ページ参照
振り掛かる人や物事のせいにして、
何度も何度も再犯を繰り返すものを、
最小限にしようとも減らそうともしないものを、
まるで努力したものであるかのように騙り、無罪放免とするのは苦しい。
真意さえ、本質さえ、よければ、と…
赦して『くれる』周りに甘え、流されるまま蔑ろにし、
また、また、また…と、減らそうともしないまま繰り返す。
そんなものが、いいものか?
そんなものの本質に、品性はあるか?
否…
唯々諾々と、それを助長させ、共に暴走するのもまた、大罪
人として生きていく上での『最低限の礼儀』だ
繰り返さないようにしたり、
被害範囲や規模を最小限にしようとしたり、
無関係なものや、無辜の民(なんの罪の無いもの)に、配慮したり、
飛び火が行かないよう工夫を凝らしたり、立場に立って考え続ける…
そうしたものこそが、本質がいいものではないのか?
その『肝心な部分』さえもない人間が、
その本質がいいものであり優しいものだと、何故言い切れる?
ただ実害を振り撒き、傍迷惑なことを自覚もせず、かえりみないまま、
責められても、罪深さを目前にしても、傍にいてくれる誰かに促されるまま甘え続け、また繰り返す…
実害を振り撒き続けることに何も思わぬまま…
世の中は、いいもの悪いものが簡単に分けられるほど単純な世界ではない…
自分にとってが、全てではない
ましてや、この世にとっては…
沢山の存在ありきに他ならない
一人のみの為の世界等、現実にはなり得ない…