第69章 文明開化
一方的に悪と決め付け断罪と称し傷付ければ、同じく意図的に傷付けたこともまた悪と称し傷付けられ、多勢を巻き込んでこちらこそが正しいと激化してゆき、争いと化す。
前者の場合、余計に怒りが駆り立てられるだろう。意図的にやったと決め付けられた、貶められたと感じて…
だが得るもの等なく、ただの感情のぶつけ先として荒れ狂うのみ。
もう一つ道があるとして…
慈悲の心を持って、一つの個性として捉え、波風立たぬよう距離をあける。
責めるのは己の心に、そうであってはならない、気に食わないとする感情あってのもの。
そこを敢えてぶつけぬことで互いに波風立たず、傷も激化せず労力も減る。
出来る範囲は皆違う。
そこへ目くじらを立てて責めたとして、出来ぬものからすれば苛立ちしか起こらぬ。
かと言って意図的にやっているものに付き合い自らの品位を貶めるのもシャクではないか?
さて…お互いの為になるのはどちらか、わかるかな?
後者ならば謝れと求めるに値する。
だが前者は逆だろう。
謝れと求めた所で、後者はわからぬ振りをして品位を保とうとする。
前者はわからずしているので、謝るに至る経緯がわからぬ。
どう転んでも、中々に難しい問題だ。更なる過失、禍根を残し兼ねん。
出来る範囲出来ない範囲と同様に…わかる範囲、わからぬ範囲もまた人により異なる。
わざわざした所で争いと化し、結果として人から貶められねばならぬ…
馬鹿馬鹿しいとは思わんかね?
感情を鞘に納め、傷付けぬよう指摘するか、流すか、いずれかじゃ。
人としての品位を貶めたくないのならな。
互いの為にもなる――
結局は許すか許さぬか、各個人のわがままじゃ。
どうあっても譲れぬとこだけ怒ればよい。
あくまで各個人の兼ね合い、価値観、感情…
それらへ求めても、中には無理なものもある。
それも理解しながら行うべし。
そして無理なら潔くひくべし。
それが守れぬなら、それまでのこと。
人の人生なのだから、お主が気に病むことはない。
やるべきは無為だ。
その上で判断を下せばよい。
無理な時は、誰しもにある。
お主(ケイト)のように一杯一杯な時もある。
人に完璧を求めるな。
己にも、出来る範囲頑張るのはいいが無理を強い過ぎるな…
でなければ、どちらも苦しむこととなる…そうなればお互い辛いだけじゃ」