第66章 穢れ
そして…自分が同じ穴の狢にならないよう欠かさず努力すれば、より自らを高めていける。
今ある偶然にも等しい日常に、大事な人々の命がある現状に、全てに感謝し、祈る。
「神様、主護霊様、ご先祖様、精霊様、お地蔵様、いつもありがとうございます。どうか次もよろしくお願いします」
合掌し、一礼し、心の底から、魂から、祈る。
下心を一切持たず、今ある全てに感謝し、俯瞰し、愛し、求めず、今ある全てを大事にする。
そして…先程のように、只管に、懸命に、人のことを考え、人の思いを考え、出ぬ答えに悩み、試行錯誤しながら自らを磨き、頑張ろうと自らを鼓舞し、他人事と思わず寄り添うよう努力する。
それを毎日毎日、日がな一日、欠かさずに何年も何年も続けて行く。
それをしてようやく――僅かに、運良くというものに恵まれることがある
廻り合いというものに、転機に、導かれ、結ばれて行く。
神は、ちゃんと見ている。
導き会わされたのもまた…壊されたのもまた…何かの縁だろう。
実際、壊されていなければ…父といじめっ子の暴虐に私は耐えられなかったかもしれない。
小学生の頃のままの純真さを喪わないで済んだのは、壊されていたからこそなのかもしれない。
そう思えば…憎むよりも、許そうとは思えないでも、何かに導かれたように感じる。
これは偶然ではなく必然、神々が導き与えたもうた試練。全ての人を見ていなければ、神の力なくして不可能。
神からの愛であり、応援のようなものを、想いを、私は確かに感じた。気がした。
そっと背を押される温かな優しい感覚が、霊感と共に感じ、伝わってきた。
だから――許すことはできずとも、前に進むことを選んだ
憎むよりも、囚われるよりも、怒るよりも、その幸せを願った方が、遥かにお互いの為になる。
私だけが幸せでは意味がない。
幸せは、怨みを買うこともある。それも他から。
だから――私は、私の幸せを求めることをやめたんだ
理想も、希望も、独り善がりでは意味がないから。誰も、幸せになんてなれやしないから。
たとえ全てを喪ってでも叶えたとして…嬉しくも、ましてや幸せでさえもないから。
皆で目指す幸せの形を模索して、皆で決めて、皆で目指した方が…
そこに辿り着けた時、何もなかったとしても、きっと、笑えるから。
一人も欠けていないのなら、きっと…