第11章 雪と真相
気付いていても、自分ではないと思い込んでいた。
名前を呼ばれなければ自分に話しかけているなど思わない。
手で肩を叩かれなければ、後ろから話しかけられていることにも気付けない。
話し相手などいなかった。その環境から話しかける相手などいないと決めつけていた。
習慣となってしまったそれに、諦めを抱いて封印したのだろう。
相手、いじめっ子は自分のいい所を見てくれた人の意見を徹底的に否定する。
違う!悪い奴だ!!と叫ぶそれに…ああ、またか。と諦めに満ちた感情しか湧かなかったという。
早い話、諦め以外何も有していなかったのだろう。
いじめっ子のそれが『決めつけ』で、それを周囲に強要するそれは『洗脳』だと気付いたのは、僕が指摘したからこそ気付けたのだそうだ。
あの時、何故仕返しをしなかったのか…その理由は一つだけじゃなかった。
やめろと言ってもやめてくれない。痛いと言ってもやめてくれない。助けてと言ってもやめてくれない。
何をしようが、訴えかけようが、全て無かったことにされる。
否定されるばかり、決め付けられるばかり、しかも生みの父親には毎日され続けている。
そんな劣悪な環境では、自分は傷付けられる為に産まれてきた存在だと思う外なかったという。
自分は路傍の石だと思い込み、沸き上がる感情を全て無にして目の前のそれだけに集中していたそうだ。
だからこそ…あのようにどれほど傷付けられてもなお、やり返さないのが当たり前となった。
自分の中で、自分を決めつけてしまった。
人を護りたい、傷付けたくない。同じになりたくない。苦しい思いを知ってるから。
それらの体のいい理由と感情に縛られて、護る為には蔑ろなものだと決め付けなければいけなかった。
思い込まなければ、怒りのままに叫んで当たっていたはずだったから。
全て一人きりで乗り越えていかねばいけなかった。
誰にも相談できない環境が、それを赦してくれなかった。
それが諦めという名の自己完結へと繋がった。
だから…これから向き合っていく人達だけは決め付けず
決め付けてかかってくる相手はその決め付けを無視して、真っ直ぐに向かい合うことに決めたんだそうだ。
その成長がどこか嬉しくかった…
それまでの傷に縛られまいと足掻く様子は全て、結局は人を傷付けないそれに帰結していたから。