第52章 メシア・デイ・イヴ
世の中は不条理なもの。
伝えもせずに常識だと強要する。
育った環境によって、それは多種多様に変わるというのに…だ。
違いを認めず、理解できない異質と迫害し、差別し…暴力も暴言も良しとし人のせいとする。
それを無くす為と言えば聞こえはいいが…
どうにもやるせんのよ…
人間はどれもこれもが欲深く、何かを求める。
無気力となり、求めた所で逆に付け入られるのが関の山。
それでケイトは常に最悪の状況のみを考えて接するようになってしまった。
何故暴力と暴言を受けないのか不思議に感じるほどに…
生みの父から日常的に喰らっていたそれによって麻痺したまま…
更に麻痺を加速させ、障害と化すほどに捌け口とされ続けてきた。
いくら言っても…失うことがすぐ頭によぎる。
大切だと思えば思うほどに…奪われた当時のことが脳裏に必ずフラッシュバックを起こす。
それほどの傷を抱えながらもなお生きねばならん。
失うくらいなら…いずれにせよ離別が来るのなら…誰かを苦しめるのなら…
そう考えて自分から接する行為をやめたあいつの心境など、葛藤さえも知らん。
知らぬまま、知ろうとさえもしないまま…
悪人というレッテルを声高に叫ぶ輩に付けられる。
悪とは何だ?善とは何だ?
自分にとってさえよければそれは幸福か?
自分さえよければ他を、心を踏みにじっても何も感じぬそれは善人か?
そもそも全てにとっての善など存在しえない。
他者は他者でしかなく、別の誰かになど決してなり得ない。
訴えかけても知らぬ存ぜぬ、聞かぬ振り、自分の幸福だけを求める。
好き勝手にされ続け、拒否も否定もしないのもいいことに追い詰め続け…
されている側の家庭環境も知らず、本質さえも見極めようともせず…
悪人と決め付け貶め、自らの味方を増やそうと声高に叫び続ける。
同意しなければおかしい、多人数なのをいいことに正義とさせる。
それがいじめだ。
逃げ道を奪い、味方を削ぎ、心を壊し、高笑いし、人ならざる真似をしているいじめっ子本人がいじめられっ子を悪人と呼ぶ。
どちらが非道だ?
何年も続けていられる精神を持つ輩の、何を正義と呼ぶ?
味方さえ多ければそれは正義か?
何人も同意する者が多ければ『何をやっても』正義か?
所詮は…何をやっても赦される免罪符欲しさに、他を貶めているだけ。滅ぶべし概念じゃ」