第49章 真の力
ケイト「今年で5歳になる者から15歳未満のが学び舎。
もしそれ以外の人達が学びたいのなら、特別学び舎を設けよう。
学びたくても学べなかった人達なのだから、そこも考慮して割安にしてさ。
逆に5歳未満のそれで預けたい人達がいるのなら、受け入れよう。
全部ひらがなで書かれたカルタみたいな遊びを教えるようにしようかな。
共通語のコイネーの自分の名前の頭文字を書けるようにしたり、過ぎた時間は戻らないこと。
そして時間を守るよう気を付けさせたり…色々とやることが多いなあ…」
フィン「必要なことだからね」
ケイト「他にも必要なことって何だろう?」
フィン「スキンシップかな?
親しき仲にも礼儀あり、やっていいことにも限度があるからね」
ケイト「職業コースで学ぶことを分けたりとか?」
フィン「それは8歳になってからでいいだろう?」
ケイト「5歳だったら取り返しがつきにくいもんね。
8歳の職業体験を経て、色んな職業の利点や欠点、必要とされる技能について一緒に考えて知っていく。
10歳になる学年までに全ての職業を知識として認識できるようにしておこう。
そして、11歳になる学年で決めさせると」
フィン「ああ。いいと思うよ。
所で…結束は…?」
ケイト「何で一つの道しか進んだら行けないんだ?
同じことを複数でやって何がやりたいんだ?
二度手間だろ。本人のやりやすい形でなきゃ意味ない。
そもそもがだ!
どんなやり方でも状況によって正解にも不正解にもなるだろ!
時と状況に応じて素早く的確な臨機応変な立ち回りが必要となるのが社会だろうが!!
第一に、本人の適性も違うのに何で誰しもに合わせて当然だと決め付ける?
大衆に向けてこのやり方が合って当然だと、最適な方法なのだと、一体誰が決めた?
人の数だけ得意不得意は違うだろ。
それでできない奴が出るから、いじめのもとになるんだろうが。
勝手に定めて、最適なそれだけ教え込んで。
本人一人一人に合わせたそれなんて微塵も考えてない。ただの押し付けだ。
個を殺し他に合わせろ、合わせれない奴は阻害しろ。
そう言ってるのも同意義だろ。
だからいじめが無くならないし、できる奴等は助長して合わない人達を違う人間だと排他する。
できるできないが問題なんじゃない。それで区別して差別のもとを自ら作ってることが問題なんだよ」