第5章 【徳川家康】日和姫
明くる日の朝。
家康は、鍛練に励もうと弓道場へ向かっていた。
その途中、朝日に照らされながら、壁に凭れるようにして立つ見慣れた姿。
「よう、家康」
「…おはようございます。どうしたんです、こんな所で」
「いや?特にこれと言って用事はない」
「なら、俺はもう行きますよ」
その前をすり抜け、先へ進もうとする家康に。
政宗はまるで何かを探る様な口振りで、話しかける。
「千花姫は、いい女だな」
「…なんですか…突然」
ため息混じりに、しかし歩みを止めた家康の背に。
見えない様に政宗はほくそ笑んだ。
「昨日色々と、話す機会があってな。多趣味で知的だから、会話が盛り上がって楽しい時間だった」
「良かったじゃないですか」
「何故嫁の貰い手が無いんだろうな?気にしたことは無いか」
「はぁ、そんなこと…知らないし、気にしたことも無いですね」
あからさまに嫌そうな顔をしながらも、しかしその場に留まって動けない様子の家康に、政宗は今度こそ、隠しきれない笑みを零した。
しかし、まるでそれは兄のような。
素直になれない弟分を気遣う、慈愛に満ちた笑みを。
「お前が気にならなかろうが、俺は気になったんだ。だが昨日…ふとした拍子で、それを知る事が出来た」
――食いついた。
ゆっくりと、しかし確かに目線を合わせるように振り向いた家康に、政宗は内心、そう思いながら。
また笑いを禁じ得ることが出来ないまま、真っ直ぐその目線を合わせたのだった。