第8章 【明智光秀】拈華微笑
当然だが、帰り着いた御殿に千花の姿は無い。
見慣れた自室がこうも侘しく見えるものか、と苦笑しながら。
早く帰ってきた分、無為に時間を持て余す。
いったい千花と出会う以前、自分はどうやって余暇を過ごしていたのだろう、などと。
女々しい思考を振り払うように、立ち上がる。
「光秀様、どちらに?」
「家康の御殿に行ってくる。もし千花が帰ってきたら、すぐに戻ると伝えてくれるか」
そう言い残し、夕暮れの町を歩く。
千花はよもや独りで帰っては来るまいな、そんな事を考えながら…
最近、疲れからか物思いからか、夜の寝付きが悪い。
家康に何か良い漢方でも煎じてもらおうと、思い立っての事だったが――
「これは、光秀様!
千花様のお迎えですか?仲のよろしいことで、羨ましい限りです」
門口で出迎えた女中が開口一番、にこやかにそんな事を言う物だから面食らう。
そのまま視線を落とすと、見慣れた千花の草履が隅に並んでいる――
「…すまぬ、急用だ」
やっとの思いでそれだけを伝え、足早に家康の御殿を後にする。
今、千花と顔を合わせてしまっては、勢いに任せ何を口走ったものか――自分でも、想像がつかなかった。