第9章 I can smell.
「ほら、カリン。今だよ」
「待て、何が"今"なんだ」
「いやその前に…手を離せ、ナナバ」
今まさに、座るミケの肩をナナバがぐっと押さえている。
何故かは…わからない。
「立ち上がらない?」
「理由によるが、な」
「絶対に、立ち上がらない?」
「…おい、聞いていたのか」
うーん、と考え込んだナナバは、『まぁ大丈夫かな』と僅かに力を抜く。ただし、手は肩に添えたまま。
「今ね、後ろにカリンが立ってるわけで」
「…知っている」
当然気付いている。匂いで立ち位置がわかるし、そもそも声を掛けてきてミケを座らせたのは他ならぬこの二人なのだから。
「ナナバ、やっぱりご迷惑だと思うの。だから」
「気にならない?」
「それは…」
ナナバはにんまり顔で続ける。
「折角なんだから、確かめよう」
「ん…」
「確かめよう…?」
何を、と言いかけたミケの肩口に近付く影。
「それじゃ、まずは私が。いい?」
視線を流し、カリンに許可をとるナナバ。
「うん」
「待て、何をする気だ」
「まぁまぁ、ちょっとそのままでいてよ。すぐ終わるから」
ふんふん
「!?」
気付いた時には、ナナバはミケの首筋に鼻を寄せ匂いを嗅いでいた。
ふんふんふん…
ふん、ふん、ふん
「…っ、やめろ」
「うん、………わからない!」
お手上げ、のポーズでカリンに向き直るナナバ。
カリンも、『残念ね』と眉根を寄せて応えた。
「……おい」
「あ、ごめん。ありがとねミケ」
「…俺の…」
「うん。どんな匂いかなって」
「……ごめんなさい」
背中越しに、自分に向けて放たれる謝罪の言葉。
「カリン、お前は何もしていないだろう」
だから謝るな。ミケはそう言いたかった。
しかし、カリン本人は…そうではなかった。
「いえ、私が悪いんです」
「何…?」
「悪くないよ。私も一枚噛んでるし」
「だろうな」
「ミケ…。否定しないね」
ひどい上司だ。
と、言葉とは裏腹にナナバの口元は緩く弧を描く。
流石に付き合いが長いだけあって、こんなやりとりもどこか愉しげである。
「さ、今度こそ」
そう言っては、ナナバはカリンに向け頷いてみせた。