第1章 猫と団長と伝言ゲーム
閉じられた扉を背に、これで小説の続きも落ち着いて読める、と改めて室内を見渡す。
そのどこにも、書類の上で眠る姿も、楽しそうに逃げる姿も、鬼の形相で追いかける姿もない。
緑に染まったハンカチを見れば、やりかけの決裁書へ自然と目がいく。
「これは…」
書類はあまり汚れていなかった。提出するのに問題はなさそうだ。
知っていたのか…?
引き出しへと仕舞いつつ、全身にインクを浴びてしまった三毛猫に感謝する。
エルヴィンはゆっくりと椅子を引く。
先程までと同じように座る。
読みかけの小説に栞を挟み直し、背もたれに体重を預ける。
耳に届くのは僅かに一度、小さく軋む音。
そして、規則正しく時を刻む音のみだ。
「…静かだな」
ここに一人でいるのは特段珍しいことではない。だが……
こんなにも、寂しげな場所だっただろうか。
……-ぃ
ふと、遠くから微かに呼ぶ声が聞こえた。
エルヴィンは迷うことなく窓を開け放つと、風上へと目を凝らす。
「ただいまーーー!」
遠くに見えるのは、こちらを見る三つの人影。
大きく手を振るハンジ。
両手に荷物を抱えるミケ。
そして静かに、窓から身を乗り出す人物を見据えるリヴァイ。
「おかえり」
エルヴィンはそっと呟くと、出迎えのため団長室を後にする。
誰も居なくなった室内には、開け放たれた窓からオレンジの光を纏った風が吹き込む。
それは小説の表紙を優しく撫でると、四人の賑やかな声を乗せ大空へと羽ばたいた。