第1章 happily ever after
嘘だぁ、と。また小さく独り言が零れた――5面ほどあるだろうか、漸く辿り着いたテニスコートの先。小さな後姿だからって見間違うはずもない。夢の中で何度も追いかけた、でも追いつけなかった、その背に勝手に涙が溢れてくる。
踊るように軽やかに、ラケットを振るう姿は、一年前と何も変わっていない。まるで己に挑む様に、壁打ちだからって一切手を抜かない、この後ろ姿を何度眺めただろう?
その時、ざっ、と音を立ててまた強い風が吹いた。グラウンドの砂粒を巻き上げるような風に、咄嗟に目を閉じ俯く。閉じた目から、ぼたり、と涙が落ち、乾いた地面に一瞬で吸い込まれて行った。
留学なんてしたって、弱い性根は変わらないのだ。やっぱり連絡をしなくて良かった、こんなの、顔を合わせたらどうしたらいいかわからない。気付かれる前に、此処を離れないといけない。分かっているのに、足が縫い止められた様に動かない――
かたり、と乾いた音を立てて、風に乗った球が落ちた先。運悪く待ち構えていた小石にホップし、見当はずれの放物線を描いて落ちた。
この俺様が身を屈めるとは、と思いつつ、転がったボールを拾い上げる。落ちている小石や風向きも把握できない事を反省しながら…やはり、気を取られてしまって居るのだろう。
元いた位置に戻って仕切り直すか、と踵を返す――5面並んだ正レギュラーのコート、それと外界を仕切るフェンスの向こう。離れていてよくは見えないが、黒い髪を強い風に靡かせた、女らしき人影が立っている。
氷帝の制服ではない。誰かの…今、コートには自分しかいない、と言うことは俺様のファンとやらだろうか?公的には部活は休みになっているのに、ご苦労な事だ。そう思いながら、彼女から目を離す――いや、離そうと、した。
どうしてか、その姿から目が離せなくて、靡く髪の先を追いかける。金網を強く握る、力の込められたその手に、ともすれば風に攫われそうな佇まいに、何処か既視感を覚える。
また、南から風が吹いた。ただし今度は、温かく柔らかく、包み込むような風が――彼女が俯いていた顔を上げた様に見えた。予感めいた何かに従い、一歩、二歩と、足が進む。そして、予感が確信に変わった瞬間、衝動に任せて口が開く――
「…松元っっ!!!」