第2章 呪文は夜に/海堂
「薫」
「?」
いつもの寡黙な薫はこちらに視線を投げ掛けた。下級生なら泣き出しそうな、いやおとなでも尻込みしそうな目つきだけれど、わたしにはむしろ彼の機嫌が良いことがわかるのだった。
しかしわたしは、なぜよんだのかこの口から理由が出る気配がないことに、じぶん自身で驚いた。
ただぽかんとして、不思議そうな視線を受けるほかない。「どうした」
「わたしにもわからないんだけど」
「なんだそりゃあ?」
薫はこちらにからだごと向き合って真摯に見つめるけれど、わたしにはほんとうにことばが見つからない。
「…たぶんこれが『よんでみただけ』というやつなのよ」
いよいよ薫は怪訝な顔をするのだった。
なんの用もないのにひとのなまえをよんでしまうとは、はじめての経験だった。
翌日もそんなことがわたしと薫を襲った。
「…」
「なっ…なんなんだ!」
「薫」とよんだきり、ふたたびぽかんとなにもことばの出ない口を開けたわたしを見て、薫は声をあげる。
「どうしてよんでしまうのかしら」
「またか?!」
「でも…よんだだけじゃ申しわけないね」
わたしはよんでしまった以上、あらたに用事をかんがえだそうと、悩みはじめ、心配そうな薫は見守る。
「……」
「撫でてちょうだい」
「……?!」
わたしの頭を撫でる薫はいつも以上に強張った顔で、なにをかんがえているかわからない。それでも、もっと、といえば、両手を使ってこめかみや耳の辺りを撫でてくれるのだった。
「…」
「これでいいのか」
うっとりした気持になって、わたしは瞼を閉じ、なぜ彼をよびたくなるのかわかりかけた気がした。
「たぶん、わたしがあなたのなまえをよぶのは、たんに『すき』って意味なのよ」
じぶんの顔を見られたくないのか、薫はわたしを抱きしめる。啄むような微かなキスのあと。
☆
海堂の存在自体が甘酸っぱさそのものなので、ドリームを書くのは楽しいですね