第26章 峠
遠くに見える山並みを眺めながら紅茶をひと口飲み込む。
名前も分からぬ山だが、雪化粧をした木々がとても美しい。
この街で…娘は育ったのか。
「美波を連れて、函館に帰ります。」
そう言った早織の判断は正しかったと思う。
そんな昔の事を思い出していると、ウエイターに案内され、一人の女性がテーブルに着いた。
長い黒髪を一つに結わえ、薄化粧にVネックの青いセーターを着ている。
女性は無言のまま、鞄から貯金通帳と印鑑を取り出し、テーブルへと置いた。
通帳の名義は“橘早織”。
俺がこの旅で会いたかったのは、美波の母親である橘早織だった。
「こんなにいらないわよ。」
「俺に出来る事はこれだけだったから。」
「私が“自由になりたい”って家を出たの。
あなたに助けてもらうつもりなんてなかった。」
早織は怪訝な表情で通帳を突き返してきたが、正直こうして時間を作り、会ってくれた事が嬉しかった。