第40章 〈番外編〉我逢人
『私、出久くんが好き。』
声が、響く。
泡のように消えてしまいそうな声だった。
ずっとずっと、そのことで頭がいっぱいだった。
あの時から、何度もその言葉が頭に浮かんでくるのだ。
「はぁ……」
「おいくそデク!手止まってんだろ!動かせ!」
「あっ!…ご、ごめん!」
それは、僕の動きを止めるほど。
謹慎中の僕達は、寮の掃除をしていた。
まじめにやらないといけないことなのに。
刑をうけるべきなのに、身体は縮こまってしまう。あの言葉を思い出す度に、熱で震えて動かないんだ。
「掃除すら満足にできねぇんか」
「…そうじゃ、ないんだよ。…ごめん。」
「……」
かっちゃんに注意されても、僕の返事はうわの空だ。
ごめんって今、僕“誰に”言ったんだろう。
なんて、分かりきったことを。
ううん、全く、分からない。
『それが、大切な話。』
あの笑顔がこびり付く。
あの、“ヒーローの”笑顔。
あの朝の、赤い目の笑顔。
昨日の彼女は、大人みたいだった。
知らない間に、こんなにも大人になってたんだなって。
でも、だからって、大人みたいに感情を押さえ込めるとは限らない。
訊けば、違うって笑うだろうけど。
もうすぐ皆が帰ってくる。
学校を終えて帰ってくる。
「はぁ……」
かっちゃんにバレないようについたため息をなんとか飲み込んで、縛っていたゴミ袋の結び目を見つめた。
「たっだいまー!」
「ただいま!」
「戻りました。」
「ただいま。」
みんなの声の中に、一際目立って彼女の声が響いた。
多分その声が目立っていたのは僕の頭の中だけだと思う。
朝、行く時に見せた笑顔を、今はあまり見たくなくて。
彼女の笑顔を望んでいない訳では無いのに。
そんなわけ、あるはずないのに。
僕は、ゴミ袋を見つめたまま、
「おかえりなさい。」
と小さく呟いた。