第38章 眇の恋心
「安藤……安藤ひよこです。安藤普の、娘です。」
重そうな扉の前で、私はそう告げた。
儀式だ。
私が“お父さん”に会うための。
だってそうしないと扉は開かないんだもの。
普通の親子ならば、儀式なんかいらないのにな。
そう思ってしまえば心は急に悲しく、虚しくなってしまうから、考えるのはやめた。
暗く広い廊下には、私と、監視をするための職員さんだけ。
コツコツコツと鋭い音が、響くだけ。
音はぶつかる為の壁を探して、見つけられずに。
ただ茫漠とした空間に広がっていく。
そんな現象が、この空間の寂しさを際立たせていた。
廊下の突き当たり。
硬く冷たい扉を押し開くと、お父さんは居た。
「お父さん…。伝え忘れたことがあって…伝えたいことがあって。…あのね。」
お父さんは、相変わらずだった。
でも今は、前と違って、ちゃんと目を見て喋ってる。
連れてこられた硬く冷たい檻の前で、
私はできるだけ優しく暖かく、声を出した。
「仮免、貰ったの。」
「……」
「……私、ヒーローになるよ。」
「……」
「いつか、お父さんみたいな、」
そこまで言って、口を噤んだ。
眉に力を込めて、噤んだ口をもう一度、口を開く。
「優しいヒーローになるよ。」
もう“なりたい”、じゃないんだな。
もう、夢じゃなくて、目標なんだ。
「それだけ、伝えたいことって。…私、がんばるから。」
そう言って、にっと笑った。
楽しいわけでも、嬉しい訳でもないときの
ヒーローの様に。
『どんなに困っている人でも笑顔で助けちゃうんだよ。』
浮かんだのはそんな、誰かさんの言葉だった。
帰りの電車の中で考えたのは、
救けるという言葉の意味、味方であるという意味、そして、
ヒーローである、という意味だった。
窓の向こうで流れていくお店やお家の光を見つめながら、考え続けた。
考えて考えて結局、分からなかった。
何故だか少し泣きそうになりながら、改札を出て、校門をくぐって、ただひたすら足早に寮へ向った。
でも、私は見つけてしまった。
暗闇に沈んでいく、2つの見慣れた背中を。
声をかけようとしたのに、なぜだか口がうごかなくて。
傍に行こうとしたのに、目が彼らを追うだけで。
私は黙って2人の背を、追った。