第34章 〈番外編〉君は夏に微笑む
「でも、ひとつ。訂正させてください。」
「…なにかしら。」
男は頭をあげて、“先生”としての言葉を発す。
「何も出来なかった…なんて言わないでください。」
「え…」
「ひよこさんに言ったらきっと、彼女なら怒ります。」
その言葉に、彼女はぱちくり目を瞬かす。
“先生”はいつもの淡々とした目で、真っ直ぐ続ける。
「あなたがいたから、ここだったから彼女は今、生きています。何も出来なかったなんてこと、あるわけないじゃないですか。安藤、怒りますよ。」
ぱちりぱちりとまた目を瞬かして、彼女はふっと、頬を緩ませた。
男は彼女が笑ったところを、初めて見た。
「さすが、“相澤さん”ね。」
からからと笑いながら告げる彼女に、今度は彼が目を瞬かす。
「どうして、それを」
「小さい時、ひよこが言ってたの、思い出したのよ。大切な友達なの、元気かなぁって…いっつも心配してた。」
「…!」
「あなたが、相澤さん、ですよね。“相澤さん”も、ひよこにとってはたまらなく大切な人だったはずです。覚えておいて。」
「…はい。」
コップを持ち上げ水を飲む。
とん、
とコップを置けば、ふたつのコップはどちらとも、空っぽだった。
「私たち、似てますね。」
「いや、どうでしょう。」
「似てないかもしれないですね。」
「似てないですよ。」
そんな適当に会話は終わった。
椅子を引いて立ち上がり、ふたりは改めて向かい合う。
「では、」
「はい。」
最初で最後のこの会話。
この出会いは、
こうして静かに幕を下ろした。