第1章 レモネード滴る
腕を組みながらまた唸っていた男が、あっ、と思い付いた顔をした。私は接客用の笑顔を作りながら、早く諦めてメニューの中から選んでくれないかなと期待をしていた。
男が真顔で提案をする。
「んじゃ、プリンを2つ、1つの皿に並べて出して。それぞれの真ん中にクリームの角を立ててくれよ」
おっぱいプリン風、なんちゃって。
下ネタに私は絶句した。
かぶき町はキャバクラやスナックの多い街だ。下ネタなんて日常茶飯事だろう。そんな街に店を開いたのだ、そっちのお客が一度も来なかったわけではない。むしろそういう客の方が多い。
私だっていい年だ。もうアラサーである。下ネタにいちいち恥ずかしがるような年齢ではない。
けれど、けれども。私は、自分の店を開きたくて…本当はおしゃれな街でテナントを借りたかったけど!お金には限りがある、そこは妥協してこの場所を借りて、代わりに内装をおしゃれにした。メニューも一生懸命考えて、材料もいい物を選んで仕入れて、プリンだって業務用の安いものじゃなくて、手作りなのに…そうやって開いたお店なのに…
単に私が場違いなのか。
私の気持ちなどつゆ知らず男が続ける。
「今日俺の誕生日なんだよねー。それでお祝いしてくれよ」
にまっと男が笑う。
その顔を見たら急に冷静になった。
「はい、ハッピーバースデー」
ばしゃっ。
手元にあったグラスを掴み、ふわふわの髪に中身のレモネードをぶち撒けた。甘酸っぱい香りが鼻を抜けた。
突然のことに男はギョッとしたようだった。
お帰りください。そう言って私はカウンターから出た。ぼーっと座ったままの男を無理やり立たせて店の扉まで誘導する。
あれよあれよと追い出された男が口を開いて何かを言おうとしたが、それを制するように私も口を開く。
「すみませんね。ここキャバクラじゃないんで」
そういう接客をお求めでしたら他の店を当たってくださいね。
きっぱりと伝えて、入口のプレートを『準備中』の文字に変えた。男の反応を待つより先に素早く店内に戻り、ガチャリと施錠して店の奥へ向かった。
ぶち撒けたレモネードでカウンターや周りの床がベタベタになっていた。さて、掃除をしなくては。
ランチまでには片付けよう。そして今日のスタートをやり直そう。私はモップを片手にふぅと溜息を吐いた。
(店の外ではレモネードの滴る男が呆然としていた)
