愛慾の鎖ーInvisible chainー【気象系BL】
第4章 落花流水
夕暮れ時が近づき、少し風が出てきて障子窓が寂しげな音を立てた。
手にしていた湯呑茶碗も冷めてしまって、心許なさを感じてしまう。
「旦那様‥私、そろそろお屋敷に戻らなければ‥」
空になった湯呑を茶托に戻した二宮くんが、幾分申し訳無さそうにそう切り出した。
もう‥帰ってしまうのか‥。
彼には甚だ迷惑なことだとは知りながら‥
「‥そうか‥すっかり引き留めてしまって悪かったね‥。」
「いえ‥ビスケットなんて珍しいものを食べさせていただいて、美味しいかったです。」
そうはにかんだ笑顔を、また見せて欲しいと思ってしまった。
本当に‥私という人間はどこまで我が儘なんだ。
私の傷心など、彼には関係の無いことだというのに‥。
「そうかい‥だったら、これを持って帰るといい。」
先程、懐に入れた小箱を取り出して、白く小さな掌の上に乗せた。
「あの‥これは‥‥?」
山吹色の和紙で飾られた小箱を、彼は不思議そうな表情(かお)で見る。
「キャンデイといってね‥とても甘いものだ。」
本当は智に食べさせてやりたくて、手に入れたものだった。
透明な小粒を頬張って、嬉しそうに微笑む顔が見たかった‥。
それももう‥叶わないこと。
「そんな高級なもの‥いただけません‥。」
慌てて小箱を返そうとする小さな手を取ると、もう一度掌に包んでやる。
「これはもう‥私が持っていても仕方の無いものなのだ。迷惑は承知の上‥だが、よかったら貰ってはくれまいか。」
柔らかな二宮くんの手を包み‥こうべを垂れた。
どこまでも情け無い男だと思う‥。
叶わない想いを捨て切れずに、何の関係もない青年に押し付けてしまうなんて‥。
智‥‥君はそんな私を軽蔑するだろうか‥。
「‥‥わかり‥ました。」
その意味を察した彼は、山吹色の小箱を大事そうに懐にしまった。
連れ立って離を出ると、明るかった空には茜雲が漂っていた。
門柱の脇で羽織を返してくれた彼は、夕暮れ間近の冷たい風に晒されて、小さく震える。
本当なら羽織もこのままと思っていたけれど、流石に断られてしまった。
「気をつけて帰るんだよ。」
「はい。今日は‥ありがとうございました。」
深々とお辞儀をした二宮くんは、くるりと身を翻すと下駄の音を鳴らしながら、もと来た道を駆けていった。