愛慾の鎖ーInvisible chainー【気象系BL】
第13章 雲外蒼天
するとその言葉に胸を撫で下ろした和也は少し迷うように視線を落とし
「間際にはなるのですが、もう一度旦那様にご挨拶させていただくことはできないでしょうか?」
と遠慮がちな声を出す。
「兄さんに?」
「はい、寄宿舎に入れていただけたのも旦那様のお口添えのお陰ですし、学費まで出していただくのに、ご挨拶もせずにというのは…」
「あぁ…そうだね。今なら部屋で寛いでる時間だろうし、一緒に行こうか?」
おれは彼の申し出を受けて。
松本家の当主として采配してくれた兄さんに挨拶をしたいって言う和也を伴い、隣の部屋の木扉を叩く。
すると扉の向こうから入れって返事があって、真鍮の持ち手をゆっくり引きなかを覗くと、兄さんは書棚の前で本を片手にこちらを振り返った。
「どうした…?」
休日の朝を寛いでいた兄さんは、不思議そうな表情を浮かべる。
「今日、和也が寄宿舎に入るので、その前に挨拶をしたいそうなんだけれども、今、大丈夫ですか?」
おれは木扉を大きく開けて体を譲って、後ろに立つ彼の姿を見せた。
「ああ、構わないよ」
「ありがとうございます、さ、和也…」
その背中に手を添えると、緊張した面持ちの和也は前へ進み出ると、深々と頭を下げて
「この度は下働きの私を寄宿舎にまで入れていただき、ありがとうございます。御恩に報いるよう、精一杯学んで参ります」
まるで宣誓でもするかのような声を張り上げる。
それに驚いたのか、一瞬目を見開いた兄さんはちらりとおれを見て、苦笑いを浮かべた。
そして1冊の本を手に取り
「いい心掛けだ。松本の名に恥じないよう励むように」
頭を上げられない和也の前まで来ると、それを差し出した。
「あの…これは…?」
おれの目には懐かしい書物を目の前にして視線を上げた彼は、戸惑ったような表情で微笑む当主を見つめ返す。