愛慾の鎖ーInvisible chainー【気象系BL】
第13章 雲外蒼天
和也side
雅紀さんと智さんを乗せた馬車を見送ってから、俺は使用人部屋へと戻った。
「疲れた…」
たった数時間のことなのに、どっと疲労の溜まった身体を積み上げられた布団に凭せ掛けた。
昨夜緊張していたせいで、あまり良く眠れなかったのが祟ったのか、瞼が重い。
でも坊ちゃんの様子も気になるし…
俺は次第に下がって来る瞼を着物の袖で擦ると、頭を一つ二つ振ってから、自分に喝を入れるように、両の頬を手で叩いた。
俺に出来ることをしなくては…
漸く落ち着けた腰を無理矢理上げ、使用人部屋を飛び出した俺は、その足で厨房へと向かい、殆ど手を付けられることのなかった大量の料理を前に、立ち竦む松岡さんに声をかけた。
「あの…、お願いがあるんですけど…」
「おぅ…、なんでぃ…」
振り向いたその顔に、いつものような覇気は見られない。
それもそうだ…
松岡さんにしてみれば、精魂込めて作った料理が、全て無駄になってしまったのだから…
「あの…、翔坊ちゃんに何か食べる物をと思って…」
あんな騒動があったんだ、ゆっくり食事をとっている余裕なんて、きっとなかっただろうから…
「…握り飯でいいかい?」
「はい!」
「ちょっと待ってろ」
松岡さんは米櫃(こめびつ)の蓋を開けると、布巾で湿らせた手のひらで、すっかり冷めてしまった米を綺麗な山形に握った。
「余分に握っといてやるから、坊ちゃんと一緒に食いな」
「え、でも…」
普段俺達が口にするのは、八割方麦と細かく刻んだ大根で出来た飯で、白飯を口にするなんてことは滅多にない。
「いいってことよ…。本当はな、赤飯も炊いたんだが…こんな時に赤飯もねぇだろうしな…」
松岡さんは漆塗りで出来た米櫃を恨めしそうに見ると、握り飯の皿と、熱い湯で満たした急須を盆に乗せた。
「ほら、早く坊ちゃんに持っててやんな。人間てぇのは、腹が減るとろくな事考えねぇからな…」
「はいっ!ありがとうございます」
俺は松岡さんに深々と頭を下げると、盆を手に坊ちゃんの部屋へと急いだ。
坊ちゃんに限って、そんなこと無いとは思うけど…
あんな事があっと後だ。
松岡さんの言うように、良からぬ事を考えていなきゃいいけど…
俺は胸に俄に不安を感じながら、坊ちゃんの部屋の木扉を叩いた。