愛慾の鎖ーInvisible chainー【気象系BL】
第10章 智勇兼備
和也side
雅紀さんの名前を出した途端、潤坊ちゃんの機嫌が一変したのは、階段を上がって行く後ろ姿と、吐き出される口調の刺々しさからすぐに分かった。
智さんに八つ当たりなんてしなきゃいいけど…
寒空の下、井戸の水を何度も桶に汲んでは、所々赤い染みの着いた手拭いを洗う、澤さんの丸まった背中を見た瞬間、嫌な予感が的中したんだと気付いた。
「澤さん、それは‥?もしかして‥」
智さんの身に何か‥
言いかけて先の言葉を慌てて飲み込んだ。
俺と智さんとの関係を、例え澤さんと言えど、知られるわけにはいかない。
「あ、ああ‥、お前が気にすることではないよ。さあ、早く翔坊ちゃんにお茶をお持ちしな」
泣いている‥?
普段は厳しく気丈な澤さんが、小さな背中を震わせて泣いている。
やっぱり智さんの身に何かが‥?
「‥はい‥」
俺は小さく背中に後ろ髪を引かれながらも炊事場に取って返すと、大急ぎでお茶の準備をして、小走りで二階の翔坊ちゃんの部屋へと向かった。
「坊ちゃん、あの‥」
えっ‥?
無礼を承知で扉を叩くことなく部屋に飛び込んだ俺の視界に、長椅子に両膝を抱えて蹲る翔坊ちゃんの姿が映った。
「ど、どうなさったんですか‥?」
湯吞と急須を乗せた盆を机に置き、坊ちゃんに駆け寄った俺は、震える背中を摩った。
「智が‥智がね‥」
顔を上げた坊ちゃんの顔は涙に濡れていて‥
「智さんがどうしたんです?」
帯に引っ掛けていた手拭いで坊ちゃんの涙を拭うと、また背中を摩った。
澤さんといい、翔坊ちゃんといい、智さんの身に何かあったのは間違いない。
じゃなきゃこんな風には‥
「今お茶入れますから、どうか落ち着いて‥」
俺は坊ちゃんから一旦離れると、すっかり色の濃くなったお茶を湯吞に注いだ。
「熱いですからね‥」
言いながら、坊ちゃんの手に湯吞を握らせた。