愛慾の鎖ーInvisible chainー【気象系BL】
第10章 智勇兼備
「ああ、また来るといい。忙しければ和也を遣いに寄越してくれても構わないよ。」
おれの意図を感じ取ってくれた雅紀さんも、そう調子を合わせてくれて。
その言葉を最後に一歩後ろに下がった雅紀さんに一礼をした従者が静かに扉を閉めると、ゆっくりと馬車が走り出した。
いよいよだ‥
いつまで壁に縋って泣いている訳にはいかない。
やがてそれぞれの想いを乗せた馬車は敷地の門を潜り、入り口の扉の前でその歩みを止めた。
部屋に戻ってしばらくすると、和也がいつもの格好に着替えを済ませ盆を持って入ってくる。
「どうだった?兄さんは屋敷にいるって?」
朝から出掛けていたおれは、兄さんの不在を確認できなくて壁を叩けずにいた。
「いえ、今は馬場の方にお出掛けだそうです。しばらくは戻ってはこられないようです。」
机の上に盆を置いた和也は更に、
「翔坊ちゃんとご一緒されたかったご様子で‥どこに出掛けたのかと尋ねておられたそうです。」
と使用人達から聞いてきた話を教えてくれた。
兄さんがおれと馬に乗りたがってくれていた‥。
優しい兄さんなのに‥おれ‥
厳しい以上に優しい兄さんの顔を思い出して、目の奥が熱くなる。
だめだ‥たった今、心に決めたばかりじゃないか。
容易に断ち切れない親愛の情の深さを感じると同時に、雅紀さんに言われ言葉の重みを思い知る。
おれは強くなるんだ‥
「じゃあ今日のところは、雅紀さんのところに行っていたと正直に話そう。馬車を出してしまったし、嘘をついてもいずれわかってしまうしね。」
おれは膝の上で拳を握って、こみ上げてくるものをのみ込む。
「わかりました。では次から馬車を使わずに‥ですね。」
和也は心得たように頷き、そっと茶托をおれの前に出すと
「今なら澤さんも下にいましたし、智さん一人です。私は潤坊ちゃんがお戻りの様子があれば知らせに参りますので‥。」
そう言い残して部屋を出ていった。
智‥どうしてる?
おれはいつも叩いている漆喰の壁の前まで行くと、握った拳で二回そこに合図する。
もうすぐ会えるよ。
ほんの僅かかもしれないけど、和也が鍵を手を入れてくれさえすれば‥
「待っててね‥必ずそこから連れ出してみせるから。」
程なく智が壁を叩き返してくれる音がして。
おれたちは少しの間だったけど、同じ時間を過ごした。