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愛慾の鎖ーInvisible chainー【気象系BL】

第6章 籠鳥恋雲


「その方はね、名を確か‥美也子様と仰ったかねぇ‥。とても品の良い、お綺麗なお嬢様でね‥」


澤の口から語られた名を聞いて、僕の心臓が一瞬大きく跳ね上がった。

美也子‥僕の母様は確か美也子だった。

時折父様がそう呼んでいるのを耳にしたことがある。


「笑った顔なんて、菩薩様のように穏やかで、その場にいる者は皆、一瞬で美也子様の虜になったもんさ」


ああ‥、僕の記憶の中にいる母様も、いつも穏やかな微笑み(えみ)を絶やさない人だった。

僕も母様の笑った顔が大好きだったよ‥


「そんな方だから、年頃になるとあちらこちらの貴族様方が美也子様をどうか嫁にと、そりゃ引く手あまたの状態でねぇ‥」


澤が昔を懐かしむように、そっと瞼を伏せる。


「旦那様もそのうちのお一人だったの?」


僕の問に、澤が首を小さく振る。


「でも、その方のことを好いてらしたんでしょ?」

「そうだよ‥、心の底から好いてらしたよ。それに、旦那様と、それから坊ちゃんの親友でもらっしゃる雅紀様のお父君は、美也子様とは旧知の間柄でね‥」


雅紀さんのお父様が‥母様と‥?

そんな話、聞いたことがない‥


「お三人とも、学校がお休みになると、必ずと言っていい程、どなたかのお屋敷に出向かれては、お茶を楽しんだり、咏を楽しんだり‥。それはそれは仲が宜しかったんだよ‥」

「で、でも、その方が結婚したのは、別の方だったんでしょ?」


母様が選んだのは、潤のお父さんでも雅紀さんのお父さんでもなく‥僕の父様だった。


「そうだねぇ‥。お二人共“何れは”と思っていただろうね‥」

「じゃあどうして‥?」

「美也子様には、お小さい頃から心に決めた方がいらしたんだよ」


それが僕の父様‥だったと‥?


「それにね、お前には分からないことかもしれないけどね、身分の違いも災いしたのさ。当時の松本家は伯爵、雅紀様のお家に至っては子爵の位だったからね。当然、それよりも身分の高い公爵家のお嬢様が、格下のお家に嫁ぐなんて、考えられないことだったんだよ」


そんなことがあったなんて‥


僕はすっかり冷めてしまった味噌汁を一口啜ると、“ご馳走様”と両手を合わせて箸を置いた。
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