愛慾の鎖ーInvisible chainー【気象系BL】
第5章 一栄一辱
夜更けに起こされた澤が、湯気を立たせた手桶を持ち階段を上がっていく後ろ姿を見送った。
半刻ほどして、疲れた様子で降りてきた背中を目で追い‥
「澤‥お前は何故、此処にいる‥?好いた男の一人や二人もいただろうに。」
緩く結い上げた髪がはらりと落ちるのを見て、そう問いかける。
俺は知っていた‥。
まだ幼い頃、真昼の最中‥獣物のようになった父上に、着物を解かれ、耳を覆いたくなるような艶めかしい喘ぎを洩らしていた澤の姿を‥見てしまった。
その時はそれがどういうことか分からなかったが、歳を追うにつれて‥澤が昼もなく夜もなく父上に仕えているのだと理解した。
父上には母様という妻がいることを承知の上で、打ち捨てられるまで、何故‥そんなことをしていたのか‥。
それだけが分からなかった。
するとぴたりと歩みを止めた老婆は、伏せていた顔を僅かに上げて、皺だらけの口元に微かな笑みを浮かべた。
「無粋なことをお聞きなさるな‥。それもこれも過ぎたこと。」
澤は窘めるようにそう呟くと、小さく溜め息を吐いた。
「‥お前は父上を‥‥」
「坊っちゃまは旦那様のお若い頃に、よう似てなさる‥。こんな年寄りでも‥そんな頃があったのでございますよ。」
その僅かな笑みに‥女の慾が見えた。
「‥‥愛していたのか‥?」
夜更けの薄暗い部屋の中に、更に陰を落とすように自分の声が響く。
深い‥闇のような陰
それと同じものを刻む‥澤
「さあ‥‥あまり年寄りを虐めないでやって下さいまし。」
するりとはぐらかした澤は、その笑みを消し、冷めた湯の入った手桶を重そうに抱え直した。
そして軽く腰を折ると、重い木の扉の向こうへと消えた。
静まり返った薄暗い部屋の中に、深い闇が広がる。
‥俺が父上に似ているだと?
笑わせるな。
あんな男と‥俺たちには見向きもせず、母様を病に伏せるほどまでに追い詰めた男と同じだと‥?
俺は腹の底から沸々と湧き上がる憎しみに拳を震わせる。
愛して欲しいと手を伸ばした俺に、氷のように冷たい心しか寄越さなかったような、冷徹な父上。
愛の欠片も持ち合わせていないような‥
あんな男に似ているはずは無い。