第2章 【沈む太陽】
「遅いぞ、何やってたんだ。呼ばれたらすぐに来……い……」
扉の前に立っていた人物を見て、クリスの眠気も怒りも全てどこかへ吹き飛んでしまった。てっきりチャンドラーが扉を開けたのだとばかり思っていたが、そこにいたのはなんと父・クラウスだった。
現グレイン家当主のクラウスとクリスは、顔こそ良く似ているものの、親子仲はあまり良い方ではなかった。古美術商の父は仕事を理由にあまり家には帰ってこず、珍しく家にいてもまず自分の部屋から出てこない為、会話らしい会話はほとんどしない。
だからと言って嫌われている訳ではないのだが、父の持つ彫刻のような独特の無表情さが苦手だった。特に言葉ではなく目で訴えるような視線には、いつまで経っても慣れることはできない。
「と――父様」
「遅くなって済まなかったな」
父の冷めた黒い目が、クリスを上から見下ろしている。クリスは背中に嫌な汗をかき始めていた。
「いっ、いえいえ、まさか父様が来るとは思わなくて……あの……チャンドラーは?」
「あいつには今、別の用を言いつけてある」
「そう……ですか」
突然の事態に、クリスの頭の中は大混乱だった。いくらチャンドラーと間違えたからと言って、面と向かってあの口のきき方は不味い。しかしたしなめる様子もなく、クラウスはクリスの手の中にあるドアノブに目を移した。
「どうしたのだ、それは」
「あの、力を入れたつもりはなかったんですけど、扉を開けようとした拍子に取れてしまって……」
「……どれ、貸してみなさい」
クラウスがちょっと杖を振ると、ドアノブはたちまち元通りに直った。ためしに2・3度ノブをひねってみたが、どこもおかしいところはない。
「これでいいだろう――では、すぐに応接間に降りて来なさい」
「応接間?誰か来ているんですか?」
「来れば分かる」
その前に知りたいから訊いたのに、父の答えはその一言きりだった。相変わらず意思の疎通というか、会話が成り立たない男だ。寡黙な父はいつも必要最低限か、ひどい場合はそれ以下の事しか口にしない。
それでも邪険にされているわけではないと言う事は、十分にわかっている。クリスは袖の下に隠された左手首のアザにそっとふれた。長い間隠されてきた父の愛情の証と知った今では、触れるとなんとなく気持ちが安らぐ。