第1章 壱 〜流転〜
シャイロックと名乗った男は、いつまでもニコニコと嬉しそうに手を握りしめて離さない。
「お名前をお伺いしても?お嬢さん。」
相手に名乗らせておきながら自分が名乗らないのも無作法な話だが、見知らぬ異性に密着されるのは慣れていない。
「私は…恵果…筑波恵果と申します。日本と言う国から来ました。…あの色々とお尋ねしたい事があります。」
その前に、と前置きをしソッと両手を引き、赤く染まった頬を逸らしシャイロックに告げる。
「シャイロックさん手を…離して…あと…近いです…」
「ああ、そうか、これは申し訳ない。」
ニコリと笑い距離を取ってくれる。少し落ち着くと、ふと思い出した疑問をぶつけた。
「そういえば日本語を喋っていますよね…?どうして?」
ああ、と言い一枚のお札を見せる。
「この札のおかげです。魔術師達がドリフターズを研究して作った、いわゆる翻訳道具ですね。」
「ドリフターズ?…水夫の方が仰っていましたが、それは何ですか?」
「この世界に漂流して来た者をそう呼ぶんです。漂流者、『ドリフターズ』と。そしてもう一つ種類があり、これを廃棄者…『エンズ』と呼びます。」
「なるほど…では私は漂流者か廃棄者どちらか、という事ですね。」
そう言うとシャイロックは軽く首を横に振り、こう言い放つ。
「いいえ、貴女は間違いなくドリフだ。エンズは会話が成立せず、理性など持ち合わせていないと聞きます。
この世を恨んで怨んで亡者となった…とね。」
それを聞き何故かとても切なくなった。それではその者達はあまりに哀れだ。
辛く悲しい妄執に囚われ、全てを憎むしか出来なくなった…どれだけの苦しみだろうか、そう思えばいつしか涙が止まらない。
それを見たシャイロックはハンカチを渡し、優しく語りかける。
「やはり貴女はドリフターズですよ。」
え…と声をもらし顔をあげれば、笑顔を向け言い放つシャイロック
「貴女には私達と商売をして頂けそうですから。」
やはり商人。善意はタダでは無いらしい……