第1章 青色幻燈
八月二十七日。
通りに並ぶ灯りはアセチレン洋燈の透き通った色を放って、月明かりを凌駕する青さで道を照らしている。秋の訪れを感じさせる僅かに肌を刺す寒気は、昼には感じられない季節の変わり目を明らかにする。
いつものベンチに腰掛けてぼんやり三日月を見上げていると、何時の間にか彼が隣に居て、同じ様に空を見上げていた。
「やあ。今年も来たね」
「今年も来たさ。それは来るだろう。こんなに見事な三日月夜だもの」
昨年も同じ事を言っていた。ただ、今年の月は前の年より少しく肥えているように思う。毎年この日の月は忘れ難く眺めるので、馬鹿に記憶が鮮明なのだ。
「良い天気で良かったよ」
雲ひとつかからない星月夜の空を見、彼は足を組んで膝に肘を預けて面杖をついた。薄荷パイプのすうすうした匂いがする。
「あっちでもきこしめてるのかい」
パイプを吸う手振りで訊ねると、彼はにこにこ笑って膨らんだ隠しから愛用の品を取り出した。
「体を損なう心配は要らないのだから、煙草を嗜んだらよい様なものだと思うんだが」
つい呆れ声が出る。
彼は薄荷パイプを咥えて首を振った。
「何処に居ようと堕落する訳にはいかないよ」
「そういうものか。君は相変わらず強情なのだな」
「何、君に言われる程でもない」
いつも思っていたが、象が笑えばこんな目になる。懐かしく笑う目を見て、愉快な心持ちになった。
変わらないというのも悪くないのかも知れない。若い頃は大人になりたくて理想の自分に近付きたくて、早く早くと前のめりに進んでいたから、変わる変わらないなどという事についてついぞ考えもしなかった。変わるのが当たり前と思っていた。
思い起こせば、彼は今の身の上になる以前から生半には変わらない男だった。こうして立場や居場所が変わっても、彼自身は相も変わらずだ。素晴らしく強情ではないか。
「最近あっちじゃ何をしているかね?」
「大して変わりはしないよ。耕して歩いて書いている」
「教える事はもうしないのか」
「あちらでは誰も誰かに何か教える必要はないんだよ。自分が何をしたいか、それがはっきりしていればそれでいいんだ」
「そうか」
それは悪くないな。そろそろ俺もそうした在り方をしたいものだ…。
ふと兆した気持ちを先読みしたように彼がこちらを向いた。
「残念だがそれにはまだ早いようだよ」